畠山秋高とは? わかりやすく解説

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畠山秋高

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/11 08:37 UTC 版)

畠山 秋高(はたけやま あきたか)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将大名河内国半国及び紀伊国守護。「昭高」として知られているが、確認できる自署は「秋高」のみである[5]。初名は、政頼(まさより)。


注釈

  1. ^ 生年は「両畠山系図」[2]や『高野山過去帳』[7]に享年29とあることによる。
  2. ^ この時、秋高は河内国の南半国、三好義継は北半国を安堵されたともいわれるが、この後の畠山氏は北河内にも支配地を有しており、河内国が単純に南北で分割されたわけではない[14]
  3. ^ 寛政重修諸家譜』や『寛永諸家系図伝』には、信教の謀反を受け自害したとある[21]

出典

  1. ^ 弓倉 2006, pp. 19, 50.
  2. ^ a b c d e f 『両畠山系図』(「両畠山系図」、塙保己一編『続群書類従 巻115-116』)。
  3. ^ a b c d e f 『寛政重修諸家譜』巻第九十八(『寛政重脩諸家譜 第一輯』國民圖書、1922年、561頁)。
  4. ^ 弓倉 2006, p. 19.
  5. ^ a b c 弓倉 2006, p. 366.
  6. ^ 弓倉 2006, pp. 48, 242.
  7. ^ 谷口 2010, p. 361.
  8. ^ 天野 2018, pp. 117, 128–129.
  9. ^ 弓倉 2006, p. 365.
  10. ^ 弓倉 2006, p. 52.
  11. ^ 小谷 & 弓倉 2017, p. 122, 小谷利明「織豊期の南近畿の寺社と在地勢力―高野山攻めの周辺」.
  12. ^ 弓倉 2006, pp. 52–53, 339–341.
  13. ^ 弓倉 2006, p. 53.
  14. ^ a b 弓倉 2006, pp. 339–341.
  15. ^ a b 天野 2018, pp. 240–241.
  16. ^ 弓倉 2006, p. 345.
  17. ^ 天野 2018, pp. 250–252.
  18. ^ 弓倉 2006, p. 346; 谷口 2010, pp. 361, 524.
  19. ^ 弓倉 2006, pp. 346–347.
  20. ^ 弓倉 2006, pp. 346–347, 371.
  21. ^ 弓倉 2006, p. 371.
  22. ^ 小谷 & 弓倉 2017, p. 248, 天野忠幸「三好氏の本拠としての河内」.
  23. ^ 弓倉 2006, pp. 377–378, 380.
  24. ^ a b 弓倉 2006, p. 125.


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