田能村竹田とは? わかりやすく解説

たのむら‐ちくでん【田能村竹田】

読み方:たのむらちくでん

[1777〜1835]江戸後期文人画家豊後(ぶんご)の人。名は孝憲(たかのり)。字(あざな)は君彝(くんい)。藩政対する不満から官を辞し頼山陽浦上玉堂などの文人墨客と交わる。「亦復一楽帖(またまたいちらくじょう)」に代表される清高雅な絵を描く一方詩文にもすぐれた画論書に「山中人饒舌」がある。


田能村竹田

読み方たのむら ちくでん

江戸後期文人画家豊後生。名は孝憲、字は君彝、別号に九畳仙史・随縁居士等。資性風流で、文雅好み高才多能詩歌文章書画香みな通暁していた。絵は谷文晁学び明・清画研究して独自の画境を築く。また交友多く浦上玉堂上田秋成殊に頼山陽岡田半江親しくする。また弟子帆足杏雨田能村直入らがいる。天保6年(1835)歿、59才。

田能村竹田

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 06:20 UTC 版)

田能村 竹田(たのむら ちくでん、安永6年6月10日1777年7月14日) - 天保6年8月29日1835年10月20日[1])は、江戸時代後期の南画文人画)家。


注釈

  1. ^ 1969年に「暗香疎影図」1点のみが重要文化財に指定された。その後1994年に他の絵画等を追加指定し、指定名称を「田能村竹田関係資料」と改めたものである(平成6年6月28日文部省告示第99号)。

出典

  1. ^ Tanomura Chikuden Japanese painter Encyclopædia Britannica
  2. ^ 画題は『ドラッカー・コレクション 珠玉の水墨画』(展覧会図録、千葉市美術館他、2015)による。
  3. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.53
  4. ^ 週刊朝日百科 『日本の美術館を楽しむNo.46 大分市美術館』 朝日新聞社、2005、13頁


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