田中陽希
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/11 23:54 UTC 版)
田中 陽希(たなか ようき、1983年6月5日[1] - )は、日本のプロアドベンチャーレーサー[2]。Team EAST WIND所属[3]。
注釈
- ^ a b c いずれの挑戦でも、噴火警戒レベル2(火口周辺規制)やレベル3(入山規制)の噴火警報が発令されていて立入禁止の浅間山や桜島などの山頂については、至近の立ち入り可能な最高地点への到達をもって登頂扱いとした。三百名山全山人力踏破では、立入禁止の景鶴山は至近の尾瀬ヶ原のヨッピ橋の通過をもって登頂扱いとした。動力の使用については、関門海峡の人道用海底トンネルへの昇降のみはエレベーターを利用した。また、百名山ひと筆書き時には本来予定していたルートとその代替ルートがすべて通行不能になるアクシデントが発生し、カヤックの使用が禁じられている黒部湖を渡らざるを得なくなり、平の渡の渡し船を利用した。
- ^ 原則として日本二百名山は日本三百名山から選定されたが、二百名山のうち荒沢岳のみが三百名山の選外から選ばれたため、日本百名山、日本二百名山、日本三百名山に選定されている山の合計は301座となる。
- ^ 前2回の挑戦と異なり山と向き合うことを重視して天候を選んで登るなどスピード登山を放棄した事や、道中での右手の指の骨折、新型コロナウイルスの流行による行政からの県間移動自粛要請などで行程の大幅な変更を余儀なくされ、冬季には限定した山にしか登れないこともあり、スタート時には2年程度を見込んでいた全行程は3年7ヶ月余に長期化した。登山のできない冬季には行政上の手続や住居の契約更新、スポンサーへの挨拶回りに東京へ戻っているが、この往復もすべて徒歩で行い、オフィスビル訪問時もエレベーターを使わず階段で上り下りをしていた。これらは視聴者から一切の疑念を持たれないように留意したためである。
出典
- ^ 『【ザ・ノース・フェイス】契約アスリート田中陽希氏の「日本二百名山ひと筆書き」をサポートします』(プレスリリース)ゴールドウイン、2015年4月2日 。2023年7月12日閲覧。
- ^ “日本三百名山を究極のバリエーションルートで”. 産経ニュース (2021年11月20日). 2021年11月20日閲覧。
- ^ a b c d EAST WIND Production. “Team EAST WIND”. 2022年2月26日閲覧。
- ^ 熊崎未奈「アドベンチャーレーサー 田中陽希さん 初めて見つけた目標…”名物おじさん”だった父が背中を押してくれた」『東京すくすく(東京新聞)』、2022年1月23日。2023年7月12日閲覧。
- ^ “日本百名山ひと筆書き完全踏破の田中陽希選手が、6年ぶりにスキーオリエンテーリング界に現役復帰、13年連続日本チャンピオンの堀江守弘選手と競う!”. プレスリリース・ニュースリリース配信シェアNo.1|PR TIMES. 2021年6月25日閲覧。
- ^ “田中陽希プロフィール(ヤマケイオンラインニュース)”. 2017年10月5日閲覧。
- ^ NHK. “番組概要”. 2016年7月24日閲覧。
- ^ orienteering.com. “スキーオリエンテーリング2009年世界選手権日本代表選手決定”. 2021年6月24日閲覧。
- ^ Team EAST WIND. “スキーオリエンテーリング世界選手権を終えて(田中陽希)”. 2021年6月24日閲覧。
- ^ “グレートトラバース2”. 2017年9月20日閲覧。
- ^ @GtTraverse100のツイート(1422166967029583874)
- ^ “グレートトラバース3”. 2018年3月11日閲覧。
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