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献帝 (漢)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/12/25 03:55 UTC 版)

(献帝 から転送)

献帝(けんてい)は、後漢の最後の皇帝は劉協。霊帝(劉宏)の次子で、少帝弁(劉弁)の異母弟。母親は王美人。




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  1. ^ 『逸周書・諡法解』では「聡明叡哲曰く献」、『史記正義・諡法解』では「聡明叡哲曰く献、知に通じるの聡有り」「知質有聖曰く献、通じて而も蔽無し」とされている。
  2. ^ 『後漢紀』によると、当時、霊帝には既に皇后の何氏が産んだ皇子の劉辯がいたが、暗愚であったので、皇太子に立てていなかった。そこで、大臣たちは利発な劉協を皇太子に立てるよう進言した。しかし、皇帝は皇后を寵愛しており、また、外戚である大将軍の何進に遠慮したため、結局、劉協を後継者に指名できなかった
  3. ^ 霊帝は病が重くなると、上軍校尉の蹇碩に劉協を託した。蹇碩は董太后や董重とともに、大将軍の何進を排除し、劉協の擁立を目指したが失敗した。
  4. ^ 劉協は、生まれてすぐに霊帝の元から離れて暮らし、その上、まだ幼少であったにもかかわらず、父の死を悼み悲しんだ。その様子を見た大臣たちはみな心を痛めたという。
  5. ^ 当時、雒陽城の南宮にあった御殿の一つ。
  6. ^ 虎賁中郎将袁術が雒陽城の南宮を攻めると、張譲らは中黄門に命じて宮殿の門を閉ざした。そこで、袁術が青琑門(嘉徳殿の門)に火を放つと、張譲らは長楽宮に参内し、何太后と少帝と陳留王を連れて複道を通り、北宮の崇徳殿へ移った。しかし、司隷校尉袁紹の兵が北宮に攻め入ったため、少帝と陳留王をまた連れ出し、わずかな供回りと雒陽の北門(穀門)から逃れた。一行は夜に黄河のほとりの小平津に辿り着いたが、そこで尚書の盧植らが中常侍を討ち、皇帝を保護した。
  7. ^ 少帝と陳留王は、蛍の微かな光を頼りに夜道を数里歩いた後、ようやく民家で手に入れた露車(幌などの覆いがない車)に乗ることができたという。北芒山の北まで来ると、少帝は馬に乗り換え、陳留王も河南中部掾の閔貢が御す馬に乗って帰還した。
  8. ^ 雒陽の北の郊外で、朝廷の百官と共に皇帝を出迎えたのが、并州牧の董卓だった。少帝が董卓の兵に怯えてすすり泣いたのに対し、陳留王は冷静さを保ち、董卓に事件の経緯を尋ねられると理路整然と答えたという。このとき、少帝の年齢は17歳、陳留王は9歳だった。野心を抱いていた董卓は、陳留王が賢明であり、また、その祖母の董太后が自分と同族であることから、皇帝に立てようと考えたという。
  9. ^ 間もなく弘農王は董卓に殺されるが、『後漢紀』によると、兄の死を聞いた献帝は玉座から降りて、辺りをはばからず嘆き悲しんだという。
  10. ^ 遷都が実施されたのは、2月17日のこと。献帝が長安へ着いたのは3月5日だった。このとき、洛陽の民も董卓によって強制的に移住させられた。
  11. ^ そのときの戦闘で官吏や民の死者は数万人にのぼったという。また、長安周辺の民は李傕らの略奪と破壊に遭い、数年の間飢餓に苦しんだという。
  12. ^ 3月、献帝は李傕の軍営に連れ去られ、宮殿は焼き払われた。郭汜が李傕を攻めた際は、おびただしい数の矢が射込まれ、皇帝のそば近くにまで届いたという。
  13. ^ 献帝の2人の娘は曹丕の妻となったが、これはに娘を嫁がせた故事をなぞったものである。
  14. ^ なお『三国志演義』では版本によって分かれ、李卓吾本では逆に兄への禅譲を献帝に勧めているが毛宗崗本では正史同様に曹丕を非難している。
  15. ^ 5ヶ月後には五丈原の戦いで蜀(蜀漢)の丞相諸葛亮が戦没している。


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