犀川一夫とは? わかりやすく解説

犀川一夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/01/10 23:15 UTC 版)

犀川 一夫(さいかわ かずお、1918年6月7日 - 2007年7月30日)はハンセン病治療に貢献した日本の医師プロミンを日本で最初に使用した医師の一人。ハンセン病が治る時代になり、通院治療を主張し、恩師光田健輔に反抗し、台湾で活躍した。後、沖縄愛楽園園長、沖縄県ハンセン病予防協会理事長、らい予防法裁判でも活躍した。


  1. ^ ハンセン病の医療を歩んで(1996.4) 犀川一夫 沖縄県立那覇病院雑誌 第6号 54-59。
  2. ^ 博士論文書誌データベース
  3. ^ 門は開かれて(1988),犀川一夫 みすず書房
  4. ^ 「「いのち」の近代史」(2001年、かもがわ出版) p625
  5. ^ ハンセン病、排除・差別・隔離の歴史(2001)沖浦和光、徳永進、岩波書店


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ハンセン病に関連した人物」の記事における「犀川一夫」の解説

犀川一夫 (1918-2007): 1944年60年国立療養所長島愛生園勤務プロミン使った最初医師達の一人であった隔離主義関し恩師光田健輔反抗し1960年64年台湾麻瘋協会勤務1964年70年WHO西太平洋地区らい専門官、197072年琉球政府らい専門官及沖縄愛楽園長。1972年87年国立療養所沖縄愛楽園長。復帰伴って患者強制隔離定めたらい予防法適用されるのに反対し、沖縄だけは在宅治療続けることを国に認めさせた。01患者側が全面勝訴したハンセン病国賠訴訟で、元患者側の証人として出廷し、国の政策批判する証言をした。2007年没。

※この「犀川一夫」の解説は、「ハンセン病に関連した人物」の解説の一部です。
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