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牧野親成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/03/05 05:35 UTC 版)

凡例
牧野親成
時代 江戸時代前期
生誕 慶長12年(1607年
死没 延宝5年9月23日1677年10月19日
別名 半右衛門(幼名)、哲山(法名)
墓所 埼玉県鴻巣市本町の勝願寺
戒名 良園院殿方誉善朗哲山大禅定門
官位 従五位下、佐渡守、従四位下、侍従
幕府 江戸幕府書院番頭・京都所司代
下総関宿藩主→河内・摂津国内→
丹後田辺藩主
氏族 牧野氏
父母 父:牧野信成
母:鳥居忠政の養女(土岐定政の娘)
兄弟 牧野九右衛門、牧野親成、牧野尹成、
小笠原吉政、牧野永成、牧野富成
牧野直成、村越直成
正室:酒井忠勝の養女(高木正縄の娘)・春光院
娘(建部政明正室のち土岐頼殷継室)
養子:牧野富成

牧野 親成(まきの ちかしげ)は、下総関宿藩の第2代藩主。のち丹後田辺藩の初代藩主江戸幕府京都所司代。丹後田辺藩牧野家2代。

来歴

慶長12年(1607年)、幕府旗本牧野信成の次男として生まれる。兄九右衛門の早世により嗣子となった。父から独立した旗本として取り立てられ、幼少期から第2代将軍徳川秀忠の小姓役などを務めた。寛永10年(1633年)1月に膳番に、8月に徒頭に任じられて上総高根村に1000石を与えられた。寛永19年(1642年)3月に書院番頭、寛永21年(1644年)3月に4000石を加増、さらに父の旧領である武蔵足立郡石戸1000石を加増され、5000石の大身旗本となった。

正保4年(1647年)11月26日、父が病により隠居したため、関宿藩第2代藩主となる。承応2年(1653年)9月、久世広之土屋数直らと共に第4代将軍家綱の側近として幕政に参与する。承応3年(1654年)に京都所司代に任じられ、河内国内で1万石を加増された。明暦2年(1656年)8月5日には京都所司代であるという都合上から、所領を河内・摂津の内に移封された。

寛文8年(1668年)5月、摂津・河内国内から丹後田辺藩に移封された。藩政では家臣団の整理や藩政の基礎固めに専念している。延宝元年(1673年)9月29日、家督を前領主京極家の娘婿である実弟富成に譲って隠居する。その後、剃髪して哲山と号した。

延宝5年(1677年)9月23日に死去。享年71。

先代:
京極高盛
牧野氏(丹後田辺藩初代)藩主
1668年 - 1673年
次代:
牧野富成




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