熊川 哲也
芸名 | 熊川 哲也 |
芸名フリガナ | くまかわ てつや |
性別 | 男性 |
生年月日 | 1972/3/5 |
干支 | 子年 |
出身地 | 北海道 |
URL | http://yajimaoffice.jp/kumakawatetsuya.html |
プロフィール | 10歳でバレエを始め、15歳の時全国舞踊コンクールジュニア部門で4位となり、同年英国ロイヤルバレエ学校留学。1989年、若手ダンサーの登龍門である第17回ローザンヌ国際バレエコンクールで日本人初の金賞受賞。同年英国ロイヤルバレエ団に東洋人として初めて入団し、バレエ団最年少(17歳)でソリストに昇進。1993年、日本人として初のプリンシパル(主演者)に昇格。1996年から1998年にはセルフプロデュース公演『Made in LONDON』を開催。世界最高峰と称される『ドン・キホーテ』のバジルを始め、数々の名演を残す。1998年の退団・独立後は、Kバレエカンパニーを創立。天才と呼ばれる才能を駆使して意欲的な活躍を国内外で続ける傍ら、同カンパニーの芸術監督としてプロデュース・演出・振付なども手がける。これまでに『ジゼル』『白鳥の湖』『くるみ割り人形』などを上演、主演。国内外での有名ソリストとの共演も多い。また、1998年には、俳優として映画『F』に主演、第22回日本アカデミー賞を受賞。2002年にも映画『およう』に竹久夢二役,2003年にはドラマ『GOOD LUCK!!』の第05話に本人役でゲストとしても出演。2004年、『白鳥の湖』の演出・振り付けに対し、第3回朝日舞台芸術賞を受賞。2005年、第55回芸術選奨文部科学大臣賞(舞踊部門)受賞。2006年、Kバレエカンパニーとして『ドン・キホーテ』『くるみ割り人形』の舞台成果に対し、第5回朝日舞台芸術賞を受賞。 |
代表作品1 | バレエ『白鳥の湖』 |
代表作品2 | バレエ『シンデレラ』 |
代表作品3 | バレエ『ラ・バヤデール』 |
職種 | 文化人 |
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熊川哲也
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/06 04:42 UTC 版)
熊川 哲也(くまかわ てつや、1972年3月5日 - )は、日本の北海道旭川市出身[1][2]のバレエダンサー・振付家・演出家である。英国ロイヤル・バレエ団の元プリンシパル。1999年Kバレエカンパニー(現 K-BALLET TOKYO)を創立し、芸術監督を務める。2003年よりKバレエスクール主宰。2012年よりBunkamura オーチャードホール芸術監督。独身。
注釈
- ^ 当時、スカラーシップを提供する「プリ・ド・ローザンヌ・スカラーシップ」、コンクールを通して最高の演技をしたダンサーを表彰する「ゴールドメダル」、東京開催を記念した「高円宮賞」の3賞を同時受賞した。
- ^ 同コンクールでは、決選以外は拍手を禁止されているが、予選の段階から観客の拍手が鳴り止まなかった。また、当時のテレビ解説者が熊川のドン・キホーテのバジルを評して「少し芝居がかっていますが、素晴らしいですね。彼は既にプロとしてやっていけます。今は膝下が少し短いようですが、成長すればそれも…。」とコメントした。なお、このコンクールの解説者は、クロード・ベッシー元オペラ座バレエ学校校長と混同されがちだが、東京大会の解説者はヴィオレット・ヴェルディである。
出典
- ^ a b 「<文化施設を考える>札幌市民交流プラザ 活用探る*10月オープン 熊川哲也さん(旭川出身)ら芸術家が座談会*地元と劇場 制作で協力/オペラ、ダンスを身近に」北海道新聞2018年1月5日付朝刊全道21頁 (古家昌伸)
- ^ a b 「<コロナ 私の思い>バレエダンサー 熊川哲也さん(48)=旭川市出身*希望へ「導」示したい」北海道新聞2020年10月4日付朝刊全道28頁第二社会面
- ^ a b c d バレエ界の天才・熊川哲也が自身の20年を本音で語る!「完璧とはどういうものかをお見せしたい」ダ・ヴィンチニュース、2019年5月29日
- ^ 「プロ力 - 仕事の肖像」、30 - 31頁
- ^ 「プリンシパルへの道 熊川哲也の青春」48-49頁
- ^ 「Made in LONDON」、66 - 67頁
- ^ EUROVISION YOUNG DANCERS Poland's Paulina Bidzińska wins Eurovision Young Dancers 2017 - EUROVISION WORLD.COM
- ^ a b 「プロ力 - 仕事の肖像」、31 - 32頁
- ^ 「プリンシパルへの道 熊川哲也の青春」66頁
- ^ 「プリンシパルへの道 熊川哲也の青春」49頁
- ^ 「プリンシパルへの道 熊川哲也の青春」76-77頁
- ^ 「プリンシパルへの道 熊川哲也の青春」82頁
- ^ 「プリンシパルへの道 熊川哲也の青春」87-88頁
- ^ a b c 「プロ力 - 仕事の肖像」、41頁
- ^ 「プロ力 - 仕事の肖像」、33頁
- ^ a b 「プロ力 - 仕事の肖像」、34頁
- ^ 熊川哲也がBunkamura オーチャードホールの初代芸術監督に就任(シアターガイド、2011年6月28日)
- ^ “T JAPAN熊川哲也インタビュー”. 2018年8月30日閲覧。
- ^ a b c d e f g Purinshiparu eno michi : Kumakawa tetsuya no seishun. Dansu Magajin Henshūbu., ダンスマガジン編集部. 新書館. (1997). ISBN 4403310095. OCLC 676264592
- ^ a b c Tetsuya., Kumakawa,; 熊川哲也. (1998). Meido in London = Made in London. Tōkyō: Bungei Shunjū. ISBN 4163544704. OCLC 41395800
- ^ “Star defections damage Royal Ballet”. 2018年8月30日閲覧。
- ^ 1990年世界のエンターテイメント情報 別冊家庭画報. 世界文化社
- ^ 「ロンドン便り」1992年7月号
- ^ 「プロ力 - 仕事の肖像」、36 - 37頁
- ^ SCUDERIA No.114. 株式会社ネコ・パブリッシング. (2016-06-30)
- ^ 東京観光大使を任命|東京都
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