炭太祇とは? わかりやすく解説

たん‐たいぎ【炭太祇】

読み方:たんたいぎ

[1709〜1771江戸中期俳人江戸の人。40歳過ぎてから京都大徳寺の僧となり、のち島原遊郭に不夜庵を結び、与謝蕪村(よさぶそん)らと俳諧三昧(ざんまい)の生活を送る。句集太祇句選」など。


炭太祇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/30 04:35 UTC 版)

炭 太祇(たん たいぎ、宝永6年(1709年) - 明和8年8月9日1771年9月17日))は、江戸時代中期の俳人。水語・三亭・不夜庵・徳母などと号した[1]。出身は江戸


  1. ^ a b c d e f g h 岡本勝, 雲英末雄編 『新版近世文学研究事典』 おうふう、2006年2月、364頁。 
  2. ^ 宮木慧太、「江戸歌舞伎と不夜庵 : 市川栢莚・金井三笑を中心に」『東京大学国文学論集』 2009年 4巻 p.107-120, ISSN 1881-2139, 東京大学文学部国文学研究室
  3. ^ 京都に来た当初は、発心して道源の名で紫野大徳寺の真珠庵に入っていた。潁原退蔵氏は明和七年不夜庵の春帖の三ツ物より、島原移住を宝暦三年ではないかとしている[要出典]
  4. ^ 先師不夜庵太祇居士は予が父の家に隣て、わかゝりし時は弟の吾琴とゝもに、なにはづの道をならひて、あたかも今ひとりちゝをまうけたるばかりのいつくしみを受たりし昔の別なりけり。(太祇追善集『その秋』[要出典]
  5. ^ なお、『一目千軒』は呑獅・斜天の編。初版は宝暦七年、太祇の移住後。
  6. ^ http://www.nipponnomirai.jp/en/contest/pdf/Miyaki.pdf[リンク切れ]
  7. ^ 本居宣長『在京日記』、『一目千軒』宝暦七年初版および寛政十三年版、其蜩『翁草』巻百五十五、太祇追善集『その秋』


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