火曜特番とは? わかりやすく解説

火曜特番

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 14:24 UTC 版)

火曜特番(かようとくばん)はTBS系列で火曜夜に不定期放送されている単発番組。




「火曜特番」の続きの解説一覧

火曜ワイドスペシャル

(火曜特番 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/23 18:13 UTC 版)

火曜ワイドスペシャル』(かようワイドスペシャル)は、1971年4月6日から2001年3月27日まで(一時期ブランクあり)フジテレビ系列局が編成していたフジテレビ製作の単発特別番組枠である。略称は、ワイドスペシャルを略した「ワイスぺ」。


  1. ^ 初回は「ドリフのアンタッチャブル」であった。
  2. ^ 最終回は「オールスター家族対抗のど自慢」であった。
  3. ^ テレビ新広島が本枠を差し替えて広島東洋カープ戦のローカル放送を実施した際は、番組タイトルロゴに「火曜ワイドスペシャル」を加えた物を使用していた。
  4. ^ 1976年・1980年・1984年・1989年・1993年(最終回)が該当。
  5. ^ 『かくし芸』は1974年・1980年・1985年第1部・1991年、『ものまね紅白』は1989年・1990年・1996年がそれぞれ該当する。
  6. ^ 現在は[いつ?]ファミリー劇場で1996年度途中までの放送回を視聴可能。
  7. ^ 現在は[いつ?]ファミリー劇場で毎年12月に放送。
  8. ^ 現在は[いつ?]ファミリー劇場で2001年から2007年の放送回を視聴可能。
  9. ^ これらの他にも、1992年9月29日と1994年3月29日には『FNS番組対抗!なるほど!ザ・春秋の祭典スペシャル』をそれぞれ火曜19:00 - 22:24で放送したが、これらは本枠扱いされなかった。
  10. ^ この回は、当初10月2日(月曜日)19:00 - 20:54に放送する予定であったが、当日はセ・リーグ初優勝にあと1勝に迫ったヤクルトスワローズの「対巨人」戦(明治神宮野球場)に差し替えられたため、この日の19:30 - 21:24に延期された(2日予定分は雨傘番組となったが試合は予定通り行われた)。なお試合は巨人が勝ち、ヤクルトの初優勝は翌々日の4日まで持ち越された。
  11. ^ 1974年春は第10回を記念して2時間枠(通常は90分枠。その後も1982年・1983年には2時間枠)であったため、木曜 20:00 - 21:55 に編成された。
  12. ^ 1978年には、1975年以来廃止していた春開催を、ニューヤンキース宣伝のために『土GSP』で特別に開催した。1984年・1985年には春のみの開催となった。
  13. ^ この番組は、元々1987年度のプロ野球中継の雨傘番組として用意された番組で、当日予定の「広島×巨人」戦が雨天中止になったのに伴い編成された。なお、放送後の火曜プロ野球中継雨傘番組は、『オールスター夢の球宴』の「珍プレー好プレー特集」に変更されたが、その後の火曜プロ野球中継は全て予定通り行われ、翌1988年の火曜雨傘番組に回されるも、ここでも中継は予定通り行われたため、同年10月2日の『サンデーイベントアワー』枠(関東ローカル)に回され、ようやく放送された。
  14. ^ 1978年は『大運動会』同様、ニューヤンキース宣伝のため『土GSP』で放送、また『土GSP』ではニューヤンキースを始め女性芸能人限定で行われた『真夏の水中フェスティバル』も放送、収録は大磯ロングビーチではなく豊島園で行い、司会はおりも政夫ではなく小林大輔が務めた。
  15. ^ おまけとして「ペチャパイ女性芸能人」も3名紹介した。
  16. ^ 第9回は土曜19:30 - 20:54の『正式枠名無し単発枠』(『土GSP』の後継)で放送。
  17. ^ ただし椅子ではなく座布団で、また座布団はチーム代表者の人数分(200名)だけあり、実は裏に「×」と書かれている座布団に座った者のいるチームが失格、そして失格チームは、その場で使った座布団を回収する罰ゲームが行われた。
  18. ^ 酒井は箱根レポーターも兼任した。
  19. ^ 夢之助は映像クイズレポーターも兼任した。
  20. ^ 『大運動会』同様に1974年までは春秋開催、1975年・1976年は秋単独になるが、1977年は「1977年ワールドカップバレーボール」中継の影響で開催せず、1978年は春単独となった。
  21. ^ ディマジオは、1978年5月6日に『土GSP』で放送された『オールスター対抗!女子野球大会』(オールスターズ戦)でも、始球式ゲストとして出演している。
  22. ^ 『土GSP』の裏(正確にはその2/3)に、ドリフメインの国民的バラエティ番組の『8時だョ!全員集合』(TBS系列)が存在していたため。
  23. ^ 1974年までは『大運動会』同様春秋開催だが、1975年からは春限定に変更、1980年は開催せず(理由不明)。また1978年春は『大運動会』同様、ニューヤンキース宣伝のために『土GSP』で開催、そして同枠では女子限定のスペシャル大会『激突!!女子スター選抜バレーボール大会』も開催された。
  24. ^ 現在[いつ?]演歌歌手だが、1987年当時はアイドルだった。
  25. ^ 1972年3月まではフジテレビ、日本テレビ系列のクロスネット局。火曜日は原則フジテレビの番組が優先して放送されたため、同時ネットであった。
  26. ^ 土曜ワイドスペシャル』と改題した上で、土曜12:30から編成。ただし『土曜ワイドスペシャル』時代には、120分バージョンを一度も編成しなかった。同局は、後の『カスペ!』に関しても土曜もしくは日曜午後に遅れネットで編成していた。
  27. ^ 土曜午後(概ね14:00から)に、『土曜ビッグプレゼント』等のタイトルで放送。なお番宣も、同局が独自に制作した物が放送されていた。
  28. ^ テレビ朝日系列へのネットチェンジにより、その後のフジテレビ系列番組(権利切れ番組を除く)の番販ネットをフジテレビ側から拒否されたため打ち切り。以後1997年3月まで山形県では本枠は未編成となった。ただし、ケーブルテレビなどで近隣のフジテレビ系列局(秋田テレビ、仙台放送、福島テレビ、新潟総合テレビ)を受信できるのであれば、1993年4月以降も引き続き視聴できた。
  29. ^ 1983年3月まではTBS系列メインのクロスネット局で、編成の都合上同時ネットが出来なかったことから、土曜午後に『土曜スペシャル』のタイトルで放送されていた。1983年4月から同時ネットに移行。
  30. ^ 1981年3月までは編成の都合上同時ネットができなかったことから、土曜午後に『NST土曜スペシャル』の番組枠として本枠および日本テレビの『木曜スペシャル』、テレビ朝日の『水曜スペシャル』などと併せて一部の単発特番枠のみを編成していた。その後、1981年4月に同時ネットへ移行した。
  31. ^ 1975年9月30日まではフジテレビ系列とのクロスネット局で、同日の本枠放送番組は同年秋以降の番組宣伝を兼ねた『秋だ目玉だ!ドーンと大放送』であった。しかし、その翌日に同局が日本テレビ系列のフルネットに転換し、フジテレビ系列の番組が全てテレビ新広島へ移行することから、広島テレビで放送するわけにもいかないというフジテレビやスポンサー側の配慮から、同局では「栄光のビッグスター75年を歌う」に差し替えられた。
  32. ^ クロスネット局時代の1987年9月までは同時ネットであった。その後同年9月末をもってフジテレビ系列を離脱し、TBS系列にネット一本化してからは遅れネットに移行した。
  33. ^ 土曜もしくは日曜の午後に放送されていた。番宣はフジテレビ系列と同様の物が使用されたが、放送日時のテロップはボカシや黒枠で隠されていて、その上に当局での放送日時をかぶせると言う手法が使われていた。


「火曜ワイドスペシャル」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「火曜特番」の関連用語

火曜特番のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



火曜特番のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの火曜特番 (改訂履歴)、火曜ワイドスペシャル (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS