瀬名氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 08:11 UTC 版)
遠江今川家である堀越氏の分流。斯波氏との争いで戦死した堀越貞延の長男・一秀が瀬名郷を与えられたのが始まり。 今川一門として幼少の今川氏親を補佐し、家督相続を助けたことから駿河今川氏の家臣となる。徳川家康の正室築山殿は氏貞の孫にあたる。氏俊は今川氏親の娘を娶って今川氏の姻戚となり結びつきを強め、永禄3年(1560年)、今川義元の尾張遠征に従軍するが桶狭間の戦いにおいて敗退し、永禄11年(1568年)、武田氏の駿河侵攻の際には今川氏から離反する。 政勝は武田氏滅亡後武田遺領を確保した徳川氏に仕え、以後江戸幕府の旗本として存続した。その子孫としては陸軍の草創期に活躍した陸軍少将瀬名義利がいる。
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