しぶさわ‐けいぞう〔しぶさはケイザウ〕【渋沢敬三】
渋澤 敬三 (しぶさわ けいぞう)
氏 名: 就 任: 退 任: 出身県: | 渋澤 敬三 (しぶさわ けいぞう) 昭和19. 3.18 昭和20.10. 9 東京都 |
16代目の日本銀行総裁である渋澤敬三は、明治〜昭和期にかけてわが国の民間経済界をリードした渋澤栄一の嫡孫として明治29年東京に生まれました。幼い頃から渋澤家の次代当主と目された敬三は、ひそかに抱いていた生物学への志を断念し、祖父栄一の事業を嗣ぐため、東京帝国大学経済学部に学び、実業界に進みました。 昭和17年、第一銀行副頭取より日本銀行副総裁に就き、19年3月、総裁に就任しましたが、戦時体制の中で、軍部から強い圧力を受け、赤字国債の引き受け、軍需産業所要資金の日本銀行貸出による供給を余儀なくされたことから、激しいインフレが発生しました。一方、戦後は大蔵大臣として、預金封鎖、新円切り換え、財産税の導入等を実施し、混乱した経済の収拾に尽力しました。 こうした傍ら、渋澤敬三は、若き日の柳田國男との出会いから民俗学に傾倒し、自宅屋根裏に収集した民具、郷土玩具等の標本は後に大阪万国博覧会跡地に創設された国立民族学博物館の母体となったとされています。また、自らも全国を歩いて資料を集め論文を執筆するほか、数多くの自然・社会・人文科学者を支援したとされ、昭和38年に亡くなるまでこうした活動を続けました。 (出典:広報誌『にちぎんクオータリー(1999年春季号)』) |
渋沢敬三
渋沢敬三
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渋沢 敬三(しぶさわ けいぞう、正字体:澁澤 敬三、1896年〈明治29年〉8月25日 - 1963年〈昭和38年〉10月25日)は、日本の実業家、財界人、民俗学者、政治家、第16代日本銀行総裁、第49代大蔵大臣(幣原内閣)、祖父・渋沢栄一から渋沢子爵家当主及び子爵位を引き継いだ。
注釈
出典
- ^ 渋沢史料館 2013, p. 69
- ^ a b 渋沢史料館 2013, p. 75
- ^ 第3回国会 衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第6号 昭和23年10月20日
- ^ 上巻(アチックミューゼアム彙報第20)、中巻1(アチックミューゼアム彙報第24)、中巻2(アチックミューゼアム彙報第33)、下巻(アチックミューゼアム彙報第42)
- ^ (渋沢史料館 1988, p. 7)
- ^ 椎名雄『祭魚洞渋沢敬三 5315日の記録』(遊人工房、2013年)に詳しい[注 1]。
- ^ 『図説大正昭和くらしの博物誌 民族学の父・渋沢敬三とアチック・ミューゼアム』(近藤雅樹編、河出書房新社〈ふくろうの本〉、2001年)に詳しく紹介されている。
- ^ 『祭魚洞襍考』(岡書院、1954年)、「自序」より。
- ^ 成立の経緯は、大谷明史『渋沢敬三と竜門社 「伝記資料編纂所」と「博物館準備室」の日々』(勉誠出版、2015年)に詳しい。
- ^ 岡茂雄『本屋風情』 平凡社、1974年/新版・角川ソフィア文庫、2018年
- ^ 渋沢敬三年譜渋沢敬三アーカイブ 2018年7月18日閲覧。
- ^ a b 澁澤雅英オーラルヒストリー 澁澤栄一記念財団理事長 政策研究大学院大学
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年、53頁。
- ^ 『官報』第5827号、昭和21年6月19日。
- ^ a b c d e f g h i j 渋沢敬三年譜 | 渋沢敬三アーカイブ 2020年11月9日閲覧。
- ^ a b c 渋沢ちよ(しぶさわちよ)/深谷市ホームページ 2020年11月9日閲覧。
- ^ 渋沢篤二人事興信論第8版 [昭和3(1928)年7月
- ^ 『人事興信録第三版』明治44-04。
- ^ 佐野眞一『渋沢家三代』文春新書, 1998、p149
- ^ 鹿島茂『渋沢栄一 論語篇』文藝春秋、2011年1月。
- ^ 『渋沢家三代』 p224
- ^ a b 人事興信録. 第13(昭和16年) 上 シ46-47
- ^ 志賀山文庫北信ローカル
- ^ 【長野】開店まで4年間の想いと美味いビール THE FARMHOUSE/山ノ内町Real Rocal
- ^ 『渋沢家三代』 p253
- ^ 渋沢雅英政策研究大学院大学
- ^ https://ameblo.jp/nobu630/entry-12787181954.html
- ^ 父・渋沢敬三 〔7〕 / 渋沢雅英 渋沢敬三アーカイブ
- ^ 父・渋沢敬三 〔6〕 / 渋沢雅英 渋沢敬三アーカイブ
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