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溝部洋六

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/06/17 05:20 UTC 版)

溝部 洋六(みぞべ ようろく、1881年明治14年)6月27日 - 1919年大正8年)11月6日)は、日本海軍軍人。最終階級は海軍大佐大分市出身。


  1. ^ 「大分県人士録」P133に…氏や資性闊達にして明敏也…とある。
  2. ^ 「新聞遍路」P147に…海軍兵学校から砲術学校、海軍大学を各首席で卒業、恩賜品を三度も受けた程だったので、その将来を非常に嘱望され未来の軍令部長だなど云うものもあった。
  3. ^ 堀悌吉自伝による。
  4. ^ 「明治三十七年十二月二十日 人事局長 侍従武官宛。振天府拝観 案 堀海軍少尉候補生以下百九十一名。来ル二十二日振天府拝観ノ義ニ付差許候処右指導者トシテ左記四名付属参内相成候間。可然御取計相成度此段及御照会候也。海軍大佐平田得三郎 仝下平英太郎 海軍少佐伊東祐保 海軍中尉溝部洋六。追テ溝部中尉ハ嘗テ拝観相済候旨ニ此段為念申添候也」…海軍省公文備考より。
  5. ^ 公刊版明治三十七八年海戦史に「…此ノ日風静ニシテ波ナク、一天拭フガ如ク…」とある。
  6. ^ 航海長少佐土屋芳樹、砲術長少佐堀田弟四郎、水雷長少佐遠矢勇之助、分隊長少佐湯浅安次郎、同大尉関干城、同大尉江渡恭助、同大尉石田幸太郎。
  7. ^ 6月14日(日)、水雷学校生徒の堀悌吉、江口穀治(何れも同郷32期)が横須賀停泊中の高千穂を訪問。溝部が二人を舟による金沢周遊に誘い、大いに精神修養論を説く。さらに興に乗じ、溝部が漢詩を読む。「一葉の漁舟五客を送る、青嵐波を動かして情緒閑かなり」(堀悌吉書簡より)
  8. ^ 明治20年愛媛県伊方村生。大正13年「私立大分家政女子校設立」。
  9. ^ (1)公衆浴場を清潔にし、湯の加減を適当にするこ。(2)私人のツキ湯に課税し其の数を制限すべし。(3)宅地と庭園と半分々々にあらざれば家屋の建設を許可せざること。(4)温泉神社を創設し、春秋二季、各一、二週日に亘る大祭典を挙行すること。(5)海岸の沙浜は、之を自然のままに保存せざる可からず。(6)別府港と浜脇との中間に、一大桟橋を架設し、汽船の横附けを得せしむること。(7)水道を完全にすること。(8)市区改正を実行すること。(別府温泉より)


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