満良親王とは? わかりやすく解説

満良親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/06 10:11 UTC 版)

満良親王[1](みつよししんのう・みつながしんのう、生没年不詳)は、南北朝時代南朝皇族後醍醐天皇の第十一皇子で、母は参議五辻宗親の女・中納言典侍親子であるとされる。花園宮(はなぞののみや)と号し、土佐南軍の統率に当たった。名前の読みが2種類あることについては、後醍醐天皇の皇子名の読みを参照。


  1. ^ 同時代史料には「花園宮」と呼ばれているため、はもちろん親王宣下の有無についても本来不詳であるが、一般に流布している人名辞典や系譜類を参照し、仮に満良親王を記事名として採用した。なお、「満良」の諱は近世の吹上本『帝王系図』が初出とされ、また、親王宣下は『南朝編年記略』に延元3年3月のこととある。


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