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渡辺和博
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/23 09:01 UTC 版)
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わたなべ かずひろ
渡辺 和博 |
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| 生誕 | 1950年(昭和25年)2月26日 |
| 死没 | 2007年2月6日(満56歳没) |
| 出身校 | 東京綜合写真専門学校中退 現代思潮社美学校 |
| 職業 | イラストレーター |
渡辺 和博(わたなべ かずひろ、1950年2月26日 - 2007年2月6日)は、日本の編集者、漫画家、イラストレーター、エッセイストである。
目次 |
人物
生い立ち
1950年(昭和25年)、裕福な薬局の子供として、広島県広島市に生まれる。崇徳高等学校卒業。
運動神経は鈍かったものの、子供のころからメカ好き、バイク好きであった。高校時代にはバイクに乗り始め、また自動車雑誌の購読も始めた。このために後の漫画作品にも、バイク物や、バイクが好きなヤンキーたちが登場するものが多く、いわゆる「エンスー」となっていった。
1968年(昭和43年)に上京後には、東京綜合写真専門学校に入学してカメラマンを目指したものの中退した。同校の同級生には、後に映画監督となる崔洋一がいた。1972年、現代思潮社美学校(東京・四谷)に入りなおし、赤瀬川原平に師事した。渡辺の渾名となる「ナベゾ」であるが、これは赤瀬川による講義の題材だった、宮武外骨の『滑稽新聞』のヘタウマな絵師「なべぞ」に由来している。
職歴
1975年、美学校の先輩の南伸坊の誘いで青林堂に入社。伝説的漫画誌『月刊漫画ガロ』編集者となり、南とともに「面白主義」を打ち出し、『ガロ』の傾向を変える。南の退社後には編集長も務めた。
また、南の薦めで漫画を描き、『ガロ』1975年8月号掲載の「私の初体験」でデビュー。その後、『ガロ』のほか、エロ雑誌や、伝説のアングラ雑誌『JAM』『HEAVEN』などで漫画を描く。
1980年に、青林堂を退社してフリーとなり、独得の「ヘタウマ」漫画と面白エッセイで、多くの雑誌にコラムを持った。
1984年の『金魂巻(キンコンカン)』は、1980年代の代表的職業(コピーライター、イラストレーター、ミュージシャンなど“横文字職業”)にある人々のライフスタイルを鋭く観察したもの。行動がすべてプラス方向に向かい高収入を得られる金持ち「○金」(まるきん)、行動がすべて裏目に出ていつまでも底辺にいる=貧乏な「○ビ」(まるび)」を対比させ、その典型像を図解し、「一億総中流」と言われた当時、同じ職業の中に存在する階層差・所得格差を戯画化した。同書はベストセラーとなり、「○金・○ビ」は同年の第1回流行語大賞を受賞した。
この年から1年間、「笑っていいとも!」(フジテレビ)にもレギュラー出演した。
また、自動車雑誌「NAVI」には、1984年の創刊から連載コラムを持っていた。開始時のタイトルは「やっぱり自動車は面白い」で、その後、市井の車好きに話を聞く連載「みんな自動車が好き」になった。1986年、その連載3回目で、自動車趣味の人を表現する言葉「エンスー」(エンスージアストの略)を発明。1989年からはコラムが「エンスーへの道」となり、連載は1997年3月号まで続いた。 1994年には書籍『エンスー養成講座』が刊行。これらの渡辺の活動により、「エンスー」という言葉は世間に広まった。渡辺は一貫して「エンスーに貴賎なし」という態度だった。
私生活
1980年には、三浦友和と山口百恵の結婚式の日に、南伸坊と「合同結婚式」を、日比谷公園内のレストラン松本楼であげた。
2003年に、肝臓癌の診断を受ける。自身の入院しての闘病記録を「病院観察記録」として面白おかしく『キン・コン・ガン!―ガンの告知を受けてぼくは初期化された』として刊行した。2005年、妻から生体肝移植をうけるが、2006年に癌が再発。2007年2月6日、肝臓癌で逝去。享年56歳。
エピソード
- 『お父さんのネジ』の巻末座談会でのみうらじゅんの発言によると、後輩から見ると「怖くて変な人」だったそうである。みうらじゅんは初対面で「あなた皮かぶっているでしょ」と指摘され、しばらくして渡辺が著書『ホーケー文明のあけぼの』を刊行すると、表紙に長髪の男のイラストがあり、横に「みうら」と書かれていた。
- 神足裕司は渡辺から五反田の駅前で突然、「チンコ出したら!オレは平気だよ」と命令され、渡辺、神足、編集者の3人で、フルチンで駅前を歩いたという。
- 男色雑誌「さぶ」の表紙イラストを描いていた三島剛の家に一度招かれた時に彼の家が気にいったようで、用事もないのに何度もおしかけ、戸棚などを勝手にあけ、三島は閉口したという。
- 1950年生まれながら、感性は晩年まで若く、「おたく世代」の前触れのような人だった。
- 「ユルい若者」などという際の「ユルい」も、嵐山によると、渡辺の造語だという。
- 母親は原爆体験者だった。広島で、対立する複数の団体によって別々に行われていた「原水爆禁止運動」については、のちに、「よそ者がやってきて、勝手にワーワーやっている」と、不快感を語っている。
- また、経済的余裕ができて四輪車に乗るようになっても、晩年まで、改造バイクが好きだった。また、毎年開催される、ヴィンテージ・バイクのイベント「タイムトンネル」にも必ず参加していたという。
著書(書籍)
- たらこ筋肉毒電波(1982)- 文庫化されて「たらこ筋肉」に改題。
- 魅せられてフリークス 時を撃つ「肉体の貴族」(佐藤重臣編 秀英書房 1982)
- 金魂巻 現代人気職業三十一の金持ビンボ-人の表層と力と構造(「渡辺和博とタラコプロダクション作品」1984、神足裕司が参加していた)
- 虚ろな愛′85 1985
- ホーケー文明のあけぼの(1985)
- 金魂巻の謎 戦後40年(金)(ビ)の誕生とポストモダン(渡辺・タラコプロ、1985)
- クルクルワ-ルド 渡辺和博のライダー生態研究 1986
- ショ-ジ君の「ナンデカ?」の発想(東海林さだおとの共著 1987)
- 診男法(渡辺・タラコプロ、1987)
- 物々巻'80年代日本国民消費行動の喜びと悲しみ(渡辺・タラコプロ、1987)
- 夫婦鑑 DINKSの波に洗われる日本の若き夫婦たち―その生(渡辺・タラコプロ、1988)
- 渡辺和博のフツー人の逆襲 新中産階級の正しい生き方講座 1989
- 宇宙の御言 うむ、これで解った世界の仕組み(赤瀬川原平との共著 1989)
- こんな女に誰がした ファッション史小説(升谷富士子との共著 1990)
- おたく玉(渡辺・タラコプロ 1990)
- 萬法 エッチのコツ(渡辺+ベリーグッドプロ 1990)
- ○和式マーケティング理論 1991
- 少女の明日 1993
- エンスー養成講座 1994
- 世紀末ジャングル 常識は死んだか? 1996
- エンスー病は治らない 1997
- 「困った人」につけるクスリ 読めばよく効く人生相談 1998
- ワタナベ式「家庭の医学書」副読本 2000
- ザ・90年代あぁ、そうだったのか。 2000
- ナウの蟻地獄 トレンドはどこへ消えた?(泉麻人と共著、2001)
- 平成ニッポンのお金持ちとビンボー人 同じ職業でも月とスッポン!現代人気職業の栄光と悲哀(安西繁美と共著、2001)
- キン・コン・ガン! ガンの告知を受けてぼくは初期化された 2004
- ちょいモテvs.ちょいキモ(フェルディナント・ヤマグチと共著 2006)
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