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渡辺二郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/10/25 09:59 UTC 版)

渡辺 二郎
基本情報
本名 渡辺 二郎
階級 スーパーフライ級
身長 166cm
国籍 日本の旗 日本
誕生日 1955年3月16日(56歳)
出身地 日本の旗 日本大阪府
スタイル 左ボクサータイプ
プロボクシング戦績
総試合数 28
勝ち 26
KO勝ち 18
敗け 2

渡辺 二郎(わたなべ じろう、1955年3月16日 - )は、日本の元プロボクサー大阪帝拳ジム所属)で、元WBA世界スーパーフライ級WBC世界同級王者。現在は暴力団関係者(山口組極心連合会相談役)[1]

目次

来歴

デビュー前

岡山県小田郡矢掛町生まれ、大阪府育ち[2]浪商高校追手門学院大学文学部英文学科卒業。高校時代は水泳部、大学時代は日本拳法部で活躍し、世界選手権で4位となった[3]

大学卒業後に体重別のボクシングを志向。大阪帝拳ジムにアマチュアとして入門。アマ戦績は4戦4勝。キャリアを積んだ上で10代のデビューが多いプロボクサーの中で、実質のボクシングキャリアは1年足らず。24歳でのデビューである。

プロボクサーとして

  • 1979年3月27日、プロデビュー。
  • 1980年2月21日、後のWBC世界フライ級王者・小林光二フライ級全日本新人王決定戦で1RKO。
  • 1981年4月27日、世界初挑戦。敵地でWBCスーパーフライ級王者金喆鎬韓国)に挑むが、15回判定負け[3]
  • 1982年4月8日、2度目の世界挑戦。WBA世界スーパーフライ級王者ラファエル・ペドロサパナマ)に挑戦し、15回判定勝ちで世界王座獲得[3]。同王座は、グスタボ・バリャス大熊正二、ルイス・イバネス、仙台ラミレス、権順天、セルソ・チャベス相手に6度の防衛に成功した[3]
  • 1984年7月5日、WBC同階級王者のパヤオ・プーンタラットタイ)との統一戦に臨む予定であったが、WBAは統一戦の開催を認めず王座を剥奪。この幻の統一戦に12回判定勝ちし、WBC世界スーパーフライ級王座を獲得した[3]。なお、この世界戦に関しては、WBC王者のパヤオに渡辺が挑戦するという変則的な形で行われ、もしパヤオが勝利していた場合、パヤオは統一王者ではなく、WBC王座のみの防衛となっていた(※当時WBAは15ラウンド制でWBCが12ラウンド制の世界戦のルールの違いが一番のネックで、そうなったとされる)。
    • WBAと帝拳との交渉で、リングに上がった瞬間に即剥奪はされず、試合終了後に剥奪という処分がなされているため、ほんのわずかではあるが、WBA・WBCの統一王座という記録は残ることになる。この試合、判定は2対1で渡辺。後半に反撃した逆転勝ちで微妙な試合だった。パヤオ側は判定に不満として提訴。渡辺自身も「ボクシングとしては相手が一枚上だった」と回顧している。[4]
  • 1984年11月29日 防衛戦でパヤオと再戦してTKO勝ち、因縁ある両者の対決に決着をつけるかたちとなった[4]。 前記防衛戦を含め、WBC王者として4度の防衛に成功。この間に達成した世界タイトルマッチ12連勝は、日本では具志堅用高の14連勝に次ぐ数字である。
  • 1985年12月13日、韓国で開催された4度目の防衛戦で、地元の尹石煥を相手に6度のダウンを奪い5回KO勝ち。日本人世界王者として初の日本国外での世界王座防衛を果たした[3]
  • 1986年3月30日、伊丹市スポーツセンターでの5度目の防衛戦でヒルベルト・ローマンメキシコ)に12回判定負けを喫し、遂に世界王座陥落[3]。その後ボクシング・マガジンでボクサー志望者向けの連載を開始。
  • 1991年11月8日、引退を発表。生涯戦績は28戦26勝(18KO)2敗(世界戦14戦12勝(8KO)2敗)。
  • 1992年9月、大阪城ホールでのジムの後輩辰吉丈一郎の世界王座初防衛戦の前座で引退セレモニー
  • 1994年11月、後楽園ホールカオサイ・ギャラクシー(タイ)とエキシビションマッチを行った[5]

引退後

引退後は実業家、ボクシング解説者、講演家、テレビタレントなど多方面で活躍していたが、1995年、恐喝未遂事件を起こし逮捕された(起訴猶予処分で釈放)。その後、殺人事件で使用された自動小銃の売買に絡み銃刀法違反で逮捕・起訴され、親友である島田紳助の情状証人としての嘆願も実らず、実刑判決を受け服役。2004年に出所する。証人等威迫罪でも逮捕歴が有る。日本ボクシングコミッションでは今後一切、歴代の世界王者に列しない方針で、ライセンス無期限停止処分中。

2008年には羽賀研二未公開株詐欺事件で逮捕・起訴され、大阪地裁で無罪判決[6]を受けるが、2011年に大阪高裁で懲役2年の逆転有罪判決を受け上告中。この事件では両者に有利な証言をした弁護側証人が偽証罪で起訴されている。この報道で、渡辺が暴力団関係者であることが報じられた。

2011年の島田紳助引退騒動においては、引退の原因となったメールの相手(紳助が会見内で発したAさんの事)は渡辺であったと報道されている[7]

週刊誌によると、渡辺が暴力団になった事を理由に縁を切った芸能人が少なからずいるという。

エピソード

  • 前述したボクシングマガジンでの連載では、初期段階で「ボクサーとしての才能がないと気づいたら、やるべきではない。ボクシングの世界では弱い者ほど辛く厳しい」と厳しくも現実的な意見を述べていた。その他にも彼なりのトレーニングや心がけを述べており、よくある一般的なボクシング入門とは一線を画していた。
  • ファイティング原田が十数kgの減量をしたと語っているのに反し、「それだけ体重が増えているのは普段の節制が足りないのだから、自慢ではなくて恥じるべき」と意見したことがある。
  • ローマン戦の敗北後、身体的にも問題なくカムバックを狙いトレーニングを続行していたが、当時練習生であった同ジムの辰吉丈一郎とのスパーリングで辰吉の才能とセンスに驚き、引退のきっかけになった。現役時は一切喫煙しなかったが、引退か現役続行かを迷っている時に、ふと夜道で自動販売機を見つけて煙草を吸い、「ああ、これでもう終わったんだなあ」とつぶやき、一筋の涙が頬を伝ったと後に語っている。

戦績

日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考
1 1979年3月27日 3R KO 宮崎敬造 日本の旗 日本 プロデビュー戦
2 1979年5月19日 1R KO 川平賀彦 日本の旗 日本 -
3 1979年7月28日 1R KO 石井昇 日本の旗 日本 -
4 1979年11月1日 6R KO 石井昇 日本の旗 日本 -
5 1979年12月1日 1R KO 高木信二 日本の旗 日本 西日本フライ級新人王
6 1980年1月29日 4R KO 川平賀彦 日本の旗 日本 -
7 1980年2月21日 1R KO 小林光二 日本の旗 日本 全日本フライ級新人王
8 1980年6月14日 6R 判定 曹振鉉 韓国の旗 韓国 -
9 1980年9月2日 10R 判定 チュクテプ・チュワタナ タイの旗 タイ -
10 1980年12月15日 10R 判定 パクタイ・リポビタン タイの旗 タイ -
11 1981年4月27日 15R 判定 金喆鎬 韓国の旗 韓国 WBC世界スーパーフライ級王座挑戦
12 1981年6月29日 2R KO ベルリン・オリペッティ フィリピンの旗 フィリピン -
13 1981年8月9日 10R 判定 李光錫 韓国の旗 韓国 -
14 1981年10月10日 5R KO アリババ・ルークロントン タイの旗 タイ -
15 1981年11月25日 4R KO ティト・アベラ フィリピンの旗 フィリピン -
16 1982年4月8日 15R 判定 ラファエル・ペドロサ パナマの旗 パナマ WBA世界スーパーフライ級王座獲得
17 1982年7月29日 9R TKO グスタボ・バリャス アルゼンチンの旗 アルゼンチン 防衛1
18 1982年11月11日 12R KO 大熊正二 日本の旗 日本新日本木村 防衛2
19 1983年2月24日 8R KO ルイス・イバネス ペルーの旗 ペルー 防衛3
20 1983年6月23日 15R 判定 仙台ラミレス メキシコの旗 メキシコ 防衛4
21 1983年10月6日 11R TKO 権順天 韓国の旗 韓国 防衛5
22 1984年3月15日 15R TKO セルソ・チャベス パナマの旗 パナマ 防衛6
23 1984年7月5日 12R 判定 パヤオ・プーンタラット タイの旗 タイ WBC世界スーパーフライ級王座獲得/WBA世界スーパーフライ級王座剥奪
24 1984年11月29日 11R TKO パヤオ・プーンタラット タイの旗 タイ 防衛1
25 1985年5月9日 12R 判定 フリオ・ソト・ソラノ ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国 防衛2
26 1985年9月17日 7R TKO 勝間和雄 日本の旗 日本 防衛3
27 1985年12月13日 5R KO 尹石煥 韓国の旗 韓国 防衛4
28 1986年3月30日 12R 判定 ヒルベルト・ローマン メキシコの旗 メキシコ WBC世界スーパーフライ級王座陥落

脚注

  1. ^ 紳助さん うそバレた!「あるわけない」写真あった スポニチANNEX 2011年8月25日閲覧
  2. ^ 紳助引退事件のキーマン・渡辺二郎の大阪ケンカ最強伝説
  3. ^ a b c d e f g ボクシング・マガジン編集部 『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ベースボール・マガジン社、2002年
  4. ^ a b 『名勝負伝説 日本中が感動した日』 小山唯史著 光文社、1993年
  5. ^ カオサイとはWBA王者時代に対戦する(渡辺がカオサイの挑戦を受ける)話があったが、パヤオとの事実上の統一戦を強行したのに伴いWBA王座を剥奪されたため、結局、両者の対戦は実現しなかった。その後、空位となったWBA王座をカオサイが獲得し、7年以上王座に君臨。19度の防衛に成功するのは周知のとおり。
  6. ^ 羽賀研二、渡辺二郎両被告に無罪判決 詐欺と恐喝未遂罪で 大阪地裁産経新聞2008年11月28日
  7. ^ 島田紳助さん引退、暴力団関係者と親密交際読売新聞2011年8月23日、同日閲覧

関連項目

外部リンク

前王者
ラファエル・ペドロサ
第3代WBA世界ジュニアバンタム級王者

1982年4月8日 - 1984年7月5日(剥奪)

空位
次タイトル獲得者
カオサイ・ギャラクシー
前王者
パヤオ・プーンタラット
第5代WBC世界ジュニアバンタム級王者

1984年7月5日 - 1986年3月30日

次王者
ヒルベルト・ローマン

渡邊二郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/09/18 14:56 UTC 版)

渡邊 二郎(わたなべ じろう、1931年10月15日 - 2008年2月12日)は日本哲学者、ドイツ哲学の研究者。東京都出身。東京大学名誉教授。放送大学名誉教授。専攻は、西洋近現代哲学、現象学。東京大学で博士号(文学、1963年)。

ドイツ観念論実存主義解釈学フッサールハイデッガー等についての研究が多数あり、フッサールの『イデーン』、ハイデガーの『存在と時間』など多くの哲学原典の翻訳を行っている。

1991年7月から1995年6月まで日本哲学会の会長を務め、1996年から1999年まで日本シェリング協会の会長を務めた。没後弟子たちの編集で「著作集」が刊行している。

目次

学歴

  • 1953年、東京大学文学部哲学科卒業
  • 1958年、東京大学大学院人文科学研究科哲学専門課程博士課程単位修得退学

職歴

  • 1958年、成城大学文芸学部専任講師、その後同助教授を経て
  • 1964年、東京大学文学部助教授
  • 1978年、東京大学文学部教授
  • 1992年、東京大学名誉教授
  • 1992年、放送大学教授
  • 2001年、放送大学名誉教授

著書

単著

  • 1962年、『ハイデッガーの実存思想』 勁草書房
  • 1962年、『ハイデッガーの存在思想』 勁草書房
  • 1975年、『ニヒリズム-内面性の現象学』 東京大学出版会
  • 1989年、『構造と解釈』 放送大学/新版ちくま学芸文庫
  • 1991年、『現代哲学 英米哲学研究』 放送大学/改題『英米哲学入門』、ちくま学芸文庫
  • 1993年、『芸術の哲学』 放送大学/新版ちくま学芸文庫
  • 1995年、『現代の思想的状況 歴史の哲学』 放送大学/改題『歴史の哲学-現代の思想的状況』、講談社学術文庫
  • 1996年、『哲学入門』 放送大学/改題『はじめて学ぶ哲学』、ちくま学芸文庫
  • 1998年、『人生の哲学』 放送大学
  • 1999年、『美と詩の哲学』 放送大学
  • 2000年、『現代人のための哲学』 放送大学/新版ちくま学芸文庫
  • 2001年、『現代の哲学』 放送大学
  • 2002年、『自己を見つめる』 放送大学/新版左右社:放送大学叢書、2009年

著作集

  • 『渡邊二郎著作集』、筑摩書房(全12巻)で、2010年10月から2011年にかけ毎月1冊刊行。
    • 『1巻 ハイデッガーⅠ』 ※初回配本 
    • 『2巻 ハイデッガーⅡ』
    • 『3巻 ハイデッガーⅢ』
    • 『4巻 ハイデッガーⅣ』 ※最終回配本
    • 『5巻 フッサールと現象学』
    • 『6巻 ニーチェと実存思想』
    • 『7巻 ドイツ古典哲学Ⅰ』
    • 『8巻 ドイツ古典哲学Ⅱ』
    • 『9巻 解釈・構造・言語』
    • 『10巻 芸術と美』
    • 『11巻 歴史と現代』
    • 『12巻 自己と世界』

共編・編著

  • 1964年、『西洋思想の流れ』(共著)、東京大学出版会、新版同・UP選書、1971年。
  • 1976年、『世界の思想家17 ニーチェ』 平凡社/新版『ニーチェ・セレクション』 平凡社ライブラリー、2005年
  • 1980年、『ハイデガー「存在と時間」入門』 編著、(有斐閣選書)有斐閣
  • 1980年、『ニーチェ物語-その深淵と多面的世界』 西尾幹二共編、(有斐閣ブックス)有斐閣
  • 1983年、『西洋における生と死の思想-西洋精神史入門』 泉治典共編、(有斐閣選書)有斐閣
  • 1984年、『テキストブック西洋哲学史』 編著、(有斐閣ブックス)有斐閣
  • 1994年、『現代文明と人間』 編著、理想社
  • 1999年、『モデルネの翳り シェリング『自由論』の現在』 山口和子共編著、晃洋書房

訳書

  • 1994年、ニーチェ『哲学者の書 ニーチェ全集3巻』 理想社。新版 ちくま学芸文庫、1994年
  • 1971年、ハイデッガー『存在と時間』、原佑と共訳、中央公論社「世界の名著」/中公クラシックス 全3巻、中央公論新社、2003年
  • 1974年、シェリング『人間的自由の本質』 中央公論社「世界の名著」
  • 1976年、ヤスパース「哲学」(小倉志祥・林田新二共訳) 中央公論社「世界の名著」/ 中公クラシックス、2011年5月
  • 1979年、フッサール『イデーン 純粋現象学と現象学的哲学のための諸構想.Ⅰ-1』 みすず書房
  • 1981年、ヤスパース『ハイデガーとの対決』 共訳、紀伊國屋書店
  • 1984年、フッサール『イデーン 同 Ⅰ-2.純粋現象学への全般的序論』 みすず書房
  • 1985年、ヤスパース『哲学の世界史序論』 共訳、紀伊國屋書店
  • 1994年、『ハイデッガー=ヤスパース往復書簡 1920-1963』 名古屋大学出版会
  • 1997年、ハイデッガー『「ヒューマニズム」について』 ちくま学芸文庫
  • 2010年、フッサール『イデーン 同 Ⅲ.現象学と、諸学問の基礎』 (千田義光共訳)みすず書房

関連項目

執筆の途中です この「渡邊二郎」は、哲学に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正して下さる協力者を求めていますPortal:哲学)。




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