東急文化会館
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東急文化会館(とうきゅう ぶんかかいかん)は、東京都渋谷区にあった複合商業施設。東急百貨店が所有・運営し、渋谷駅前(東口)を代表する文化施設として知られた。 1956年(昭和31年)開業。2003年(平成15年)閉業。建物も解体され、替わって跡地には渋谷ヒカリエが2012年(平成24年)に開業している。
注釈
出典
- ^ a b c 港町キネマ通り 200205.
- ^ a b c d e f g 清水建設.
- ^ a b c d “東急文化会館の閉鎖、解体を決定 < ニュースリリース”. 東京急行電鉄株式会社(現・東急株式会社) (2002年5月28日). 2002年12月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月28日閲覧。
- ^ a b c 森平.
- ^ Rec Pantheon-his.
- ^ a b c d e 「渋谷のシンボルが47年の歴史に幕 サヨナラ「渋谷東急文化会館」」『シブヤ経済新聞』みんなの経済新聞ネットワーク、2003年6月6日。2017年4月16日閲覧。
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- ^ 「渋谷・表参道は「焼死体の山」となった――米軍が実行した残虐な「山の手空襲」とは」『デイリー新潮』株式会社 新潮社、2019年5月24日。2021年4月6日閲覧。「(...略)いよいよ東京の焼け残りの町へ第3次大規模空襲の火の雨が降りそそぐことになる。5月24日が、まずその前哨戦で、この日未明、空襲警報のサイレンと同時にB29 250機(米側発表525機)が都内西部方面に侵入、2時間余にわたる無差別攻撃を行なった。投下焼夷弾は3600トンに達し、これで大森、品川、目黒、渋谷、世田谷、杉並の各区に大火災が発生、警視庁調査で死者762名と、負傷者4130名を出した〉(略...)」
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- ^ a b 「東京国際ファンタスティック映画祭、今秋の開催は中止に」『シブヤ経済新聞』みんなの経済新聞ネットワーク、2006年7月3日。2021年4月6日閲覧。
- ^ 「渋谷東急文化会館が閉館。47年の歴史に幕」『シブヤ経済新聞』みんなの経済新聞ネットワーク、2003年7月1日。2021年4月6日閲覧。
- ^ a b “(閉館)渋谷東急”. 渋谷文化プロジェクト. 東急株式会社 都市創造本部. 2021年4月6日閲覧。
- ^ 掛尾 (2003), p. 118.
- ^ シブ経 20120711.
- ^ NAMA 闘牛14号.
- 1 東急文化会館とは
- 2 東急文化会館の概要
- 3 歴史
- 4 フロア
- 5 参考文献
- 6 関連文献
渋谷パンテオン(1階)
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「東急文化会館」の記事における「渋谷パンテオン(1階)」の解説
定員1,119人。名称は円形劇場を意味しており、プラネタリウムを持つこの建物にちなんでいる。70mmフィルム映写機があった超大型の映画館。ル・コルビュジエ作画の緞帳『闘牛十四号』(1956年〈昭和31年〉、川島織物セルコン製作)でも知られていた。その大きさのため、東京国際ファンタスティック映画祭など、数々のイベントの会場となった。終盤期には、主に丸の内ルーブルチェーンの映画を上映していた。
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