済南事変とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 済南事変の意味・解説 

済南事件

(済南事変 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/03 02:57 UTC 版)

済南事件(さいなんじけん、中国では五・三惨案)は、1928年昭和3年)5月3日午前9時半頃、中国山東省済南における、国民革命軍の一部による日本人襲撃事件、および日本の権益と日本人居留民を保護するために派遣(第二次山東出兵)された日本軍と、北伐中であった蔣介石率いる国民革命軍(南軍)との間に起きた武力衝突事件[1]。事件の発端については日本と中国では見解が異なる[1]


注釈

  1. ^ 第一期(戦況著しく切迫し人心動揺甚だしきに至りたる時)と第二期(動乱暴動の徴ある時)の二段階の状況を想定し、商埠地を警備区域、歩哨戦、複郭に区分し、第一期にあっては商埠地域外居住の男子を警備区域内に移動させ、老幼婦女病者を総領事館、民団、学校、済南病院の「複郭」に収容、第二期にあっては居留民全員を総領事館以下に庚申倶楽部を加えた「複郭」に収容するというもの

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 小池聖一「済南事件」『世界戦争犯罪辞典』文藝春秋 (2002),p.62-63
  2. ^ 李宗益. “済南惨案中山東交渉署人員前後事”. 済南文史網. 2010年2月25日閲覧。
  3. ^ 汪公紀 (2005). 《日本史話(近代篇)》. 聯經出版事業股份有限公司. ISBN 9570829311 
  4. ^ a b 『昭和の歴史』第2巻「昭和の恐慌」小学館ライブラリー,p.118-121.
  5. ^ 服部龍二編『満州事変と重光駐華公使報告書』
  6. ^ a b c 高倉徹一『田中義一伝』
  7. ^ a b c d e f 井星英「昭和初年における山東出兵の問題点」
  8. ^ a b c 宮田昌明「再考・済南事件」
  9. ^ 服部龍二「済南事件の経緯と原因」『軍事史学』34(2),1998年9月
  10. ^ 参謀本部『昭和三年支那事変出兵史』
  11. ^ [1]
  12. ^ 服部龍二『東アジア国際環境の変動と日本外交 1918-1931』有斐閣、2001年、203頁
  13. ^ 岩崎芳夫「日本人として誇りを持って生きろ」(自由主義史観研究会)
  14. ^ The China Weekly Review, 12 May: p=311. (1928). 
  15. ^ Jordan, Donald A. 『The Northern Expedition: China's National Revolution of 1926–1928』Honolulu: University Press of Hawaii. ISBN 9780824803520、1976年。 
  16. ^ 昭和3、六ニニ七、暗、北京発、五月二十一日午前本省着、芳沢公使発、田中外務大臣宛、第七〇〇号ノ一(済南事件/各国ノ態度)アジア歴史資料センター所管 [2]
  17. ^ a b c d e f 中村粲『大東亜戦争への道』
  18. ^ 工藤美代子 『昭和維新の朝 二・二六事件を生きた将軍と娘』 ちくま文庫 p.168-169
  19. ^ 参謀本部編纂『昭和三年支那事変出兵史』
  20. ^ 秦郁彦「中村粲氏への反論 謙虚な昭和史研究を」『諸君!』1989年11月号
  21. ^ 五月九日田中外相宛西田領事報告。中村粲『大東亜戦争への道』p.270-272
  22. ^ 佐々木到一「ある軍人の自伝」増補版、勁草書房、1967,p.181-182
  23. ^ 陸軍省軍務局長 阿部信行宛報告書「被害状況に関する件報告」(昭和3年5月8日 陸軍省歩兵中佐 佐々木到一)「済南事件に対する支那新聞の論評報告の件」(P55)(防衛省防衛研究所) [3]
  24. ^ 工藤美代子 『昭和維新の朝 二・二六事件を生きた将軍と娘』 ちくま文庫 p.170
  25. ^ 日本軍の兵士の死亡状況・死因及び兵士の情報 [4]
  26. ^ 青島新報昭和3年5月7日 JACAR(アジア歴史資料センター) Ref.B02030045600、済南事件/排日及排貨関係 第一巻(A-1-1-0-2_4_001)(外務省外交史料館),p.17-18.
  27. ^ a b 中国側済南事件調査代表団報告
  28. ^ a b 済南惨案被害者家族連合会調査
  29. ^ a b 『日本の歴史24 ファシズムへの道』中公文庫,p.153-154
  30. ^ a b 工藤美代子 『昭和維新の朝 二・二六事件を生きた将軍と娘』 ちくま文庫 p.172-173
  31. ^ 工藤美代子 『昭和維新の朝 二・二六事件を生きた将軍と娘』 ちくま文庫 p.171
  32. ^ a b c 臼井勝美『昭和史の瞬間』上,p.55
  33. ^ 工藤美代子 『昭和維新の朝 二・二六事件を生きた将軍と娘』 ちくま文庫 p.173
  34. ^ 「中村粲氏への反論 謙虚な昭和史研究を」『諸君!』1989年11月号,p.212-222.
  35. ^ 中村粲「秦郁彦氏における「絶対矛盾の自己同一」『諸君!』1990年2月号,p.238-251.
  36. ^ a b c d e f 原正義「済南事件邦人被害者の写真(イラスト)を七三一部隊細菌戦人体実験として宣伝する中国教科書」『動向』1999年10月号,p.40-45.動向社
  37. ^ 『朝日ジャーナル』昭和59年11月2日号





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「済南事変」の関連用語

済南事変のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



済南事変のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの済南事件 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS