清水山城跡とは? わかりやすく解説

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清水山城跡

名称: 清水山城跡
ふりがな しみずやまじょうあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 長崎県
市区町村 対馬市厳原町
管理団体
指定年月日 1984.12.06(昭和59.12.06)
指定基準 史2
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S50-12-054[[清水山]しみずやま]城跡.txt: 文禄・慶長の役際し豊臣秀吉朝鮮出兵のための本陣として、肥前国松浦名護屋城築いたが、同時に玄海灘隔てた出城として、壱岐島勝本城を、対馬清水山城構えた
 勝本城は、一名[[武末]たけすえ]城とも呼ばれ松浦宗信(鎮信)が奉請に当たり、有馬晴信大村嘉前五島純玄補佐役を務め短時日の間に工を終えた考えられる壱岐島北西部通称城山山頂部中心に構築され、その中心部は「東西36間、南北32間」であった伝えられる。現在、山頂部には、北に開口する虎口枡形良好に遺存し、その左右石垣良く旧状をとどめている。建物類は慶長の役後取り壊わされたが、山頂本丸跡には礎石思われるものが多く残っている。
 清水山城は、現在の[[厳原]いづはら]町の中心部の西に接す独立状の丘陵清水山営まれ構築に際しては、毛利高政が責に当たったといわれている。馬背状の稜線上に地形即しつつ、東から西順次三の丸二の丸本丸階段状に配し三の丸二の丸との間は細長い連絡部を設けている。各曲輪の入口には門枡形つくられ本丸と二の丸跡のそれは、ほとんど旧状のままである本城は、稜線両側石塁をもって防禦していることや、本丸平面形態がほぼ円形に近いことなど、近世初頭城郭としては、やや特異形状示している。
 これら2つ史跡は、特別史跡名護屋城跡並陣跡と共に文禄・慶長の役関係の遺跡として、また、近世初頭の陣城遺構として、歴史的意義大きいものである
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史跡:  淡路国分寺塔跡  深大寺城跡  清戸迫横穴  清水山城跡  清水山城館跡  清滝寺京極家墓所  清色城跡



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