混一疆理歴代国都之図とは? わかりやすく解説

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混一疆理歴代国都之図

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/14 08:38 UTC 版)

混一疆理歴代国都之図(こんいつきょうりれきだいこくとのず)、略称疆理図(きょうりず)とは1402年李氏朝鮮で作られた地図。名称は「歴史上の首都一覧図」を意味する。(「混一」はひとまとめ[1]を、「疆」は国境あるいは国土[2]を意味する。)混一疆理図と略されることもあるが、後述する清浚による『混一疆理図』と紛らわしいため、あまり使われない。1402年という作成年は、下に書かれている奥付に基づく。現存するものは写本のみであり、それに書かれている地名から類推すると、遅ければ1592年の情報が混入している可能性もある[3]


  1. ^ 旺文社『漢和辞典』第5版、p.620、1993年(参照したのは1994年の重版)
  2. ^ 旺文社『漢和辞典』、p.710
  3. ^ 長崎県ホームページ混一疆理歴代国都地図 2008年3月7日確認
  4. ^ a b c (Miya:2006)
  5. ^ Peter Jackson, "The Mongols and the West", p.330
  6. ^ 例えば龍谷大学 稀書と大学歴史資料混一疆理歴代国都之図
  7. ^ (Sugiyama:2007)
  8. ^ Jackson, p.330


「混一疆理歴代国都之図」の続きの解説一覧

混一疆理歴代国都之図 (1402年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/04 02:40 UTC 版)

初期の世界地図」の記事における「混一疆理歴代国都之図 (1402年)」の解説

詳細は「混一疆理歴代国都之図」を参照 混一疆理歴代国都之図は1402年李氏朝鮮作られ世界地図である。これよりも前、モンゴル帝国集めた知見を基に中国いくつかの世界地図作られており、混一疆理歴代国都之図はその集大成と言える全体はMの字のような形をしており、一番右の出っ張り朝鮮半島中央の出っ張り中国南アジア、左の出っ張りアラビア半島アフリカである。アフリカの上ヨーロッパ描かれているが、地中海陸地と同じ色で塗られているため分かりにくい

※この「混一疆理歴代国都之図 (1402年)」の解説は、「初期の世界地図」の解説の一部です。
「混一疆理歴代国都之図 (1402年)」を含む「初期の世界地図」の記事については、「初期の世界地図」の概要を参照ください。

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