海部城
海部城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 22:57 UTC 版)
1575年長宗我部元親が陸路に侵入し、瓦を使っていた県内三城の内の一つ「海部城」が落城した。城主が姻族の加勢のため讃岐に出征中で、戦力不在のため無血開城だった。 木材の集散や海路の監視所として、海部川河口の「城山」は古くから重要拠点だった。城山はかつては周囲を海部川が巡り、海に臨む「島」だった。戦後に埋め立て造成が進んだ。ここに城が築かれたのはいつなのか、諸説あっても根拠の提示はなされていない。 戦時中は城山山麓に大規模な退避壕を構築。城山山上には陸軍の監視所が設置され、監視員のための防空壕が構築された。それらの作業は浅川以南の各町村から奉仕隊が交代で出動し、のべ人員は1万人を数えた。
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