洗衣院とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 洗衣院の意味・解説 

洗衣院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/26 18:20 UTC 版)

洗衣院(せんいいん、またの名を浣衣院)は、金王朝における官設の妓院である[1][2]。『靖康稗史箋証』の記載によると、靖康の変1126年)の後、皇太后皇后、妃嬪、皇女(公主[3])、宗女[4]女官宮女、さらに官吏や平民に至るまでの多数の女性が、遠く金に連行された。一部は現地で洗衣院に入れられて、性的奉仕を強要された[5]。複数の幼い皇女たちも洗衣院で育てられ、成長後に金国人の妻妾、あるいは洗衣院の娼婦となった[6]


  1. ^ 中国网
  2. ^ 中国百科在綫[出典無効]
  3. ^ 靖康の変当時の呼称は「帝姫」
  4. ^ 靖康の変当時の呼称は「宗姫」
  5. ^ 『靖康稗史箋證』、「宣和乙巳奉使金国行程録」、「瓮中人語」、「開封府状」、「宋俘記」、「南征録匯」
  6. ^ 『靖康稗史箋証』
  7. ^ 徽宗の最年少の子恭福帝姫、老齢の英宗修容張氏、哲宗の三女の淑慎帝姫、哲宗の妃嬪の美人慕容氏と美人魏氏。
  8. ^ 『南征録匯』:原定犒軍費金一百萬錠、銀五百萬、須於十日内輪解無闕。如不敷數、以帝姫、王妃一人准金一千錠、宗姫一人准金五百錠、族姫一人准金二百錠、宗婦一人准銀五百錠、族婦一人准銀二百錠、貴戚女一人准銀一百錠、任聴帥府選擇。
  9. ^ 『靖康稗史箋證』巻6「呻吟語」妃嬪王妃帝姫宗室婦女均露上體、披羊裘。
  10. ^ 『靖康稗史箋證』巻6「燕人麈」駙馬、妃嬪、王妃、帝姫、宗室婦女、奄人均露上體、披羊裘。
  11. ^ 『靖康稗史箋證』巻六『呻吟語』建炎二年 即金天會六年 八月二十四日‥‥婦女千人賜禁近,猶肉袒。韋、邢二后以下三百人留洗衣院。
  12. ^ 『呻吟語』「十人九娼,名節既喪,身命亦亡」(ただしこの記述は、虜囚全体の話であり、洗衣院限定の話ではない点に留意が必要)
  13. ^ 『靖康稗史箋證』巻5 賜宋妃趙韋氏、鄆王妃朱鳳英、康王妃邢秉懿、姜酔媚、帝姫趙嬛嬛、王女粛大姫、粛四姫、康二姫、宮嬪朱淑媛、田芸芳、許春雲、周男児、何紅梅、方芳香、葉寿星、華正儀、呂吉祥、駱蝶児浣衣院居住者。
  14. ^ 『靖康稗史箋證』巻3 康一即佛佑、康二即神佑均二起北行、入洗衣院


「洗衣院」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「洗衣院」の関連用語

洗衣院のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



洗衣院のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの洗衣院 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS