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浅野目義英
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/05/03 11:00 UTC 版)
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あさのめ よしひで
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| 生年月日 | 1958年5月27日(53歳) |
| 出生地 | 東京都 |
| 出身校 | 法政大学 |
| 所属政党 | (新自由クラブ→) (自由民主党→) (無所属→) 民主党 |
| 公式サイト | あさのめホームページ |
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| 選挙区 | 南第9区(さいたま市浦和区) |
| 当選回数 | 2回 |
| 任期 | 2007年4月30日 - 現職 |
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| 当選回数 | 4回 |
| 任期 | 1983年12月 - 1999年12月 |
浅野目 義英(あさのめ よしひで、1958年5月27日 - )は、日本の政治家。上尾市議会議長などを務めた後、埼玉県議会議員。
人物
東京都で生まれた直後に米沢市で育つ。その後4歳の時に埼玉県に移り住み戸田市立第一小学校、上尾市立原市小学校、上尾市立尾山台小学校、さいたま市立桜木中学校、埼玉県立上尾高等学校に通った[1][2]。埼玉県立上尾高等学校時代以降は原市団地で一人暮らしをした。法政大学の社会学部[2]に進学し弁論部に所属した。大学時代には上田清司(現埼玉県知事)と出会った[1]。徹底した二党存立論者であり、新自由クラブ全国青年協議会副代表を務めた[1]。
1983年12月、25歳で上尾市議会選挙に新自由クラブ推薦で立候補、初当選を果たした[1]。その後4期連続当選して37歳の時に市議会議長に就任した。都市合併推進論者で、議長就任直後から特に浦和市、与野市、大宮市による三市合併に上尾市を同時参加させようとする急先鋒だった。
上尾市議会議長就任直後に埼玉県第6区(当時)から衆院選への出馬のチャンスが巡って来るが、自民党公認争いで敗北した。
2000年2月に行われた上尾市長選挙に41歳の時立候補。上尾市がさいたま市へ合併するべきと主張、「変えなくっちゃ上尾」というキャッチフレーズのもと、合併反対を訴える現職の新井弘治市長と激突した。この選挙は平成の大合併で揺れる上尾市のさいたま市との合併を住民に問う選挙であった。この選挙の後、2001年7月29日に合併特例法に基づく住民投票が実施されたが投票のおよそ6割ほどが合併に反対したこともあり、上尾市のさいたま市への編入は成立しなかった[3][4]。
上尾市長選挙落選後、7年間にわたる政治浪人生活に入る。大宮区の大学受験予備校講師となった後、2003年7月から衆議院議員武正公一の政策担当秘書となる[1]。2006年6月に3年勤務した武正事務所を退職。民主党埼玉県第1区総支部幹事に就任した。2007年4月、埼玉県議会議員選挙に南9区(さいたま市浦和区)から民主党公認で立候補、初当選を果たした[1]。現在、民主党埼玉県連常任幹事。同総務局長。2011年4月、埼玉県議会議員選挙において2期目当選。
- 1 浅野目義英の概要
- 2 外部リンク
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