あさい‐ながまさ〔あさゐ‐〕【浅井長政】
浅井長政(あざい ながまさ) 1545~1573
◇父:浅井久政 室:平井加賀守定武女 織田信秀女 子:浅井輝政、井頼、万寿丸正芸(長明、直政)、円寿丸政治、七郎
南近江・六角氏に臣従する父久政を隠居させ、若くして近江・浅井家を継ぎ、六角氏に敵対。来襲した倍する六角軍を野良田合戦にて撃破する。その後、周辺国人を制圧しつつ六角氏、美濃・斎藤氏らと再三争った。また、尾張・織田信長と、その妹市を娶って同盟を結び、これに協力する。しかし、信長が浅井の同盟国越前・朝倉氏に無断で攻め込んだことから反旗を翻した。姉川の合戦において数に勝る信長軍をあと一歩のところまで苦しめるが、及ばず敗北。最期は小谷城を囲まれ、妻と娘らを信長に託し、自害して果てた。
浅井長政
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/18 07:53 UTC 版)
浅井 長政(あざい[注釈 5] ながまさ、旧字体表記:淺井 長政、天文14年(1545年) - 天正元年9月1日(1573年9月26日))は、戦国時代の武将。北近江の戦国大名。浅井氏最後の当主。
注釈
- ^ 正室のお市との間の子とされるが、平井定武の娘が生母ともいわれている。
- ^ 『浅井氏家譜大成』を根拠として、一説に娘の茶々は正室のお市が嫁ぐ前に生まれたともいわれ、長政の実子ではないという説がある。
- ^ 『浅井氏家譜大成』によれば「喜八郎長春」
- ^ 『浅井氏家譜大成』によれば「円寿丸政治」
- ^ 「浅井」の読みについては、「あさい」とする説と「あざい」とする説がある。詳細は浅井氏#浅井の読み方を参照。
- ^ 和田惟政が三雲定持に宛てた書状に「浅井備前守と信長の縁辺(婚姻)、入眼候…」とあることから、近江国矢島の和田惟政の元にいた覚慶(足利義昭)が、上洛を目指すために織田と浅井の婚姻を結ばせたとする[24]。また、三雲が六角氏の家臣であることから、婚姻の主導者を当時義昭の支援者であり浅井長政とは停戦状態にあった六角義賢であったとする説もある[25]。
- ^ 『安芸毛利元就宛覚書』(毛利家文書)に「浅井備前守別心易色之由、帰洛之途中へ告来候」とあることを根拠に浅井氏挙兵は凱旋途中にその報を受けたとする[24]。
- ^ 当時、義昭と信長に両属する立場にあった明智光秀は同僚の細川藤孝に対して、浅井の動向を警戒する書状を送っている(「三宅家文書」)。
- ^ 実際は周辺の調略、自軍の補給、気候条件、信玄自身の体調などの問題があり、進軍不可能であった。
- ^ 一部文献では、信長の久政・長政や朝倉氏に対する怒り・恨みの根強さを象徴したエピソードのように綴られているが、実際は敵将への敬意の念があったことを表したもので、改年にあたり今生と後生を合わせた清めの場で三将の菩提を弔い新たな出発を期したものである、とする説がある[44]。
- ^ ルイス・フロイスによると織田信長は酒を飲まなかったという。
- ^ 一説に浅井久政の娘ともいわれるが、『系図纂要』には浅井亮政の娘(久政の妹で養女)と記載されているため、後者の説が有力とされる。
出典
- ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 21頁。
- ^ a b 黒田 1927, p. 271.
- ^ a b c 宮島 2008, p. 147.
- ^ 小和田 2005, p. 51.
- ^ 小和田 2005, p. 63.
- ^ a b 黒田 1927, pp. 271–272.
- ^ 黒田 1927, pp. 272–275.
- ^ 宮島 2008, p. 149.
- ^ 小和田 2005, pp. 66–69.
- ^ 宮島 2008, pp. 153–155.
- ^ a b c d e f 長谷川裕子「浅井長政と朝倉義景」樋口州男 他編『歴史の中の人物像―二人の日本史』【小径選書 4】小径社、2019年 ISBN 978-4905350101 P138-146.
- ^ 柴裕之『織田信長 戦国時代の正義を貫く』、平凡社〈中世から近世へ〉2020年 ISBN 9784582477474 Kindle版、位置No.全3884中 1419-1423 / 37%
- ^ a b 宮島 2008, pp. 155–156.
- ^ 小和田 2005, pp. 64–66.
- ^ 黒田 1927, pp. 304–305.
- ^ 宮島 2008, pp. 151–153.
- ^ 宮島 2008, p. 159.
- ^ a b 小和田 2005, pp. 77–78.
- ^ 小和田 2005, pp. 82–84.
- ^ 宮本義己「信長の婚姻大作戦」『歴史読本』31巻16号、1986年。
- ^ 黒田 1927, pp. 306–311.
- ^ 太田浩司「北近江の戦国史」『戦国大名浅井氏と北近江-浅井三代から三姉妹へ-』、長浜市長浜城歴史博物館、2008年。
- ^ 宮島 2008, p. 177.
- ^ a b 高澤等『新・信長公記』ブイツーソリューション、2011年。
- ^ 久保尚文「和田惟政関係文書について」『京都市歴史資料館紀要』創刊号、1984年。/所収:久野雅司 編『足利義昭』戒光祥出版〈シリーズ・室町幕府の研究 第二巻〉、2015年。ISBN 978-4-86403-162-2。
- ^ 西ヶ谷恭弘『考証織田信長事典』東京堂出版、2000年、246-247頁。ISBN 4490105509。
- ^ 奥野高廣「織田信長と浅井長政の握手」『日本歴史』248号、1969年。
- ^ 小和田 2005, pp. 109–117.
- ^ 黒田惟信編『東浅井郡志』、東浅井郡教育会、1927年のちに1971年に名著出版から復刻。
- ^ 佐藤 2000, p. 37.
- ^ 宮島 2008, pp. 163–164.
- ^ 佐藤 2000, pp. 37–38.
- ^ 小和田 2005, p. 122.
- ^ 小和田 2005, pp. 124–125.
- ^ 宮島 2008, pp. 193–194.
- ^ 小和田 2005, pp. 125–126.
- ^ 小和田 2005, pp. 126–127.
- ^ 太田浩司「浅井長政と姉川合戦: その繁栄と滅亡への軌跡」サンライズ出版、2011年
- ^ a b 小和田 2005, pp. 139–140.
- ^ 宮島 2008, pp. 205–207.
- ^ 久野雅司「織田信長と足利義昭の軍事的関係について」(初出:『白山史学』第53号/所収:久野『織田信長政権の権力構造』(戎光祥出版、2019年) ISBN 978-4-86403-326-8) 2019年、P137-140.
- ^ 荻野三七彦「浅井長政最期の感状」、『古文書研究』31号、1989年。
- ^ 小笠原長和「浅井長政の感状と主従関係」、『千葉史学』37号、2000年。
- ^ 宮本義己『誰も知らなかった江』毎日コミュニケーションズ、2010年、61-62頁。
- ^ 近藤瓶城 編『国立国会図書館デジタルコレクション 通記第二十七 淺井三代記』 第6、近藤出版部〈史籍集覧〉、1919年、277頁 。
- ^ 村川浩平「天正・文禄・慶長期、武家叙任と豊臣姓下賜」、『駒沢史学』80号。
- ^ 『東浅井郡誌』は『江濃記』『言継卿記』の記述から義龍の室は一条氏の出であるとしている。
- ^ a b c d 浅井国幹『浅井系統一覧』による。
- ^ a b c d 『寛政重修諸家譜』国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 大分県西国東郡真玉町の子孫所蔵系図による。
- ^ 福田寺の寺伝による。
- ^ 小和田 2005, p. 190.
浅井長政
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/28 00:33 UTC 版)
近江の戦国大名。心ならずも信長と敵対する。大名級では珍しくまともな思考の持ち主だが、巨顔を気にしている。父、久政も多少老けているがほとんど同じ顔。
※この「浅井長政」の解説は、「SENGOKU」の解説の一部です。
「浅井長政」を含む「SENGOKU」の記事については、「SENGOKU」の概要を参照ください。
浅井長政(あざい ながまさ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/27 23:43 UTC 版)
「秀吉でごザル!!」の記事における「浅井長政(あざい ながまさ)」の解説
近江に割拠する武将。信長の妹、お市の方との政略結婚を結ぶが、血縁関係の織田氏と代々同盟関係であった朝倉氏の間に挟まれ苦悩の末に信長を裏切ることになる。
※この「浅井長政(あざい ながまさ)」の解説は、「秀吉でごザル!!」の解説の一部です。
「浅井長政(あざい ながまさ)」を含む「秀吉でごザル!!」の記事については、「秀吉でごザル!!」の概要を参照ください。
浅井長政
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/09 03:06 UTC 版)
北近江の大名、浅井家の当主。信長の妹お市と結婚し、義弟として信長の上洛を助ける。しかし、信長の朝倉攻めの際に父久政に引きずられる形で信長に反旗を翻す。姉川での敗戦後武田信玄や朝倉義景が倒れたことで急速に力を失い、居城小谷城も包囲されてしまう。最後はお市を信長の元に送り届け、自害した。
※この「浅井長政」の解説は、「信長 (漫画)」の解説の一部です。
「浅井長政」を含む「信長 (漫画)」の記事については、「信長 (漫画)」の概要を参照ください。
浅井長政(声:神谷浩史)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 23:13 UTC 版)
「決戦III」の記事における「浅井長政(声:神谷浩史)」の解説
近江の戦国大名。若くして武勇に優れ義に厚い武将。お市と結婚し、信長と同盟を結び共に上洛をはたすが、父久政の意向もあって旧来の同盟国である朝倉について信長を裏切り敵対する。
※この「浅井長政(声:神谷浩史)」の解説は、「決戦III」の解説の一部です。
「浅井長政(声:神谷浩史)」を含む「決戦III」の記事については、「決戦III」の概要を参照ください。
浅井長政(あさい ながまさ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 02:19 UTC 版)
「センゴク」の記事における「浅井長政(あさい ながまさ)」の解説
通称は備前守、幼名は猿夜叉丸。浅井家当主。織田信長の妹であるお市を娶り、お市を溺愛している。当初は大きな体躯に恵まれながら吃音癖のある小心者で信長にも憧憬を抱いていたが、信長とお市の絆に嫉妬し、越前に侵攻する信長を裏切り窮地に陥れた。金ヶ崎、姉川と信長と戦っていく中で精神的に成長し、利用されるだけだった他勢力からも一目置かれるようになる。自らは信長と戦う事でのみ戦国大名になれた事を悟り、盟友・朝倉軍と共に各地で織田軍と戦い続けるも朝倉家が滅亡し、居城である小谷城を攻略されると、お市を突き放して織田家に戻させ、お市を想いながら自害して果てた。
※この「浅井長政(あさい ながまさ)」の解説は、「センゴク」の解説の一部です。
「浅井長政(あさい ながまさ)」を含む「センゴク」の記事については、「センゴク」の概要を参照ください。
浅井長政
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 03:06 UTC 版)
北近江の大名。彼が指揮する兵は鬼と化し悪鬼羅刹の異名を持つ。市の夫であり信長の義弟。
※この「浅井長政」の解説は、「戦国八咫烏」の解説の一部です。
「浅井長政」を含む「戦国八咫烏」の記事については、「戦国八咫烏」の概要を参照ください。
浅井長政
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 16:10 UTC 版)
北近江を領する大名。美濃攻めの際に西方の浅井氏との同盟を欲した信長により、妹のお市の方を娶った。そのため信長とは義兄弟の関係にある。
※この「浅井長政」の解説は、「国盗り物語」の解説の一部です。
「浅井長政」を含む「国盗り物語」の記事については、「国盗り物語」の概要を参照ください。
浅井長政
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 02:07 UTC 版)
「徳川家康 (山岡荘八)」の記事における「浅井長政」の解説
※この「浅井長政」の解説は、「徳川家康 (山岡荘八)」の解説の一部です。
「浅井長政」を含む「徳川家康 (山岡荘八)」の記事については、「徳川家康 (山岡荘八)」の概要を参照ください。
浅井長政
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 03:57 UTC 版)
信長の若い恋人。信長が初めて自分から惚れた男であり、信長は長政との荒々しい性の快楽に溺れてゆく。
※この「浅井長政」の解説は、「女信長」の解説の一部です。
「浅井長政」を含む「女信長」の記事については、「女信長」の概要を参照ください。
浅井 長政(あざい ながまさ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 02:52 UTC 版)
「孔雀王」の記事における「浅井 長政(あざい ながまさ)」の解説
近江の国の領主。信長の異母妹・お市を娶り、同盟を結ぶ。朴訥な風貌の気の善い男で、呪いとは関わりのない普通の人間。
※この「浅井 長政(あざい ながまさ)」の解説は、「孔雀王」の解説の一部です。
「浅井 長政(あざい ながまさ)」を含む「孔雀王」の記事については、「孔雀王」の概要を参照ください。
浅井長政と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- 浅井長政のページへのリンク