洪鐘宇とは? わかりやすく解説

洪鐘宇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/22 06:39 UTC 版)

洪 鍾宇 1895年

洪 鍾宇(こう しょうう、홍종우、ホン・ジョンウ、1850年 - 1913年(推定)) は、李氏朝鮮末期の両班。議政府参事の洪在源の子。豊かな家に産まれ、フランスへ私費留学後に開化派と偽装出来る理由から、日本にて開化派の著名な主導者金玉均の暗殺を閔妃から任された。見返りに朝鮮王朝から地方高官の地位を得たが、暗殺前からの願いであった中央高官の地位は拒否された。そのため、フランスへと愛人と失意の内に去った以降は記録が残ってない[1]は聲粛、は羽亭。本貫は南陽。(1886年 - 1890年)朝日新聞社の植字工(印刷工)。

人物

生い立ち

両班層である議政府参事の洪在源の子として、京畿道安山の豊かな家で生まれた。1886年に日本に渡り、朝日新聞社の植字工として働きながらフランス語を勉強し、1890年に私費留学した。当時の朝鮮政府による公費留学生の指定先は米国と日本だけなので、洪在源はパリ留学を望んだ鐘宇を私費で留学させている。このため、朝鮮人初のフランス留学生と言われている[1]博物館で働きながら西欧文明に触れたが心からは馴染めず、朝鮮王朝の中央高官になる夢を持っていた。しかし、朝鮮王朝下で高位に上がるには国王・皇后の推薦が必要であり、つてのない洪は諦めていた[1]

金玉均の暗殺

金玉均暗殺当時、日本の新聞社に掲載された記事とイラスト

甲申政変で自分を苦境に陥れた金玉均への復讐に燃えていた朝鮮王妃閔妃は、開化派と信頼を得やすく金玉均のそばに近寄れる刺客を探させていた。フランスから帰って日本で生活中の洪に刺客の勧誘があり、洪も閔妃の推薦を受けて官職を得たかったため引き受けた[1]。1894年(明治27年)、洪は甲申政変に失敗して日本に亡命中の金玉均に接近。活動資金を提供すると騙って上海に誘引し、同行した東和洋行ホテルにおいてピストルで銃撃、暗殺した[1]

清国警察の尋問に対して、洪鍾宇は「自分は朝鮮王の勅命で行動しており、金玉均は親日派として逆賊であり、清国の敵でもある」と弁明した。洪鍾宇は形式的に逮捕されたが、釈放された。金玉均の死体は清国軍艦で朝鮮に返され、死後に朝鮮王朝で死刑宣告を受け、凌遅刑の後に四肢を裂かれ、頭は市場に晒された。これは金を支援していた福沢諭吉を激怒させ、朝鮮の文明開化による自立は不可能であると認識を改め、1885年(明治18年)2月23日と2月26日の「朝鮮独立党の処刑(前・後)」という論説では、金玉均ら開化派の三親等の一族を処刑し遺体を晒したこと、凌遅刑と朝鮮の体制を激しく非難し、金ら朝鮮開化派の死を涙している[1]

帰国後

帰国した洪鍾宇は閔妃の歓迎を受け、その功績で地方裁判所の長官に任ぜられ、舎宅を与えられた。朝鮮王朝が独立協会弾圧のために設立させた皇国協会の幹部になったり、絶対王政から立憲君主政治への改革を主張する独立協会の李承晩を逮捕し、裁判で死刑を求刑した。しかし、李承晩は終身刑に減刑され、その後脱獄してアメリカに亡命し、朝鮮独立後の1945年に朝鮮半島南部に帰国、韓国初代大統領となっている。

洪は済州島の長官の任を与えられた。さらに要職を望んだが朝鮮王朝に拒否されたので、失意の内に愛人を連れてパリに旅立った[1]。朝鮮王朝から開化派暗殺という役割を果たした後は用済みとされ、以後の消息は不明となっている。日韓併合後の1913年には没したとされる[1]

参考資料

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i 『朝鮮の攘夷と開化』p.172-186,姜在彦1977年, 平凡社選書 

洪鐘宇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 16:06 UTC 版)

王道の狗」の記事における「洪鐘宇」の解説

金玉均暗殺実行犯犯行理由について「国王の命により反逆者討った」と主張した

※この「洪鐘宇」の解説は、「王道の狗」の解説の一部です。
「洪鐘宇」を含む「王道の狗」の記事については、「王道の狗」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「洪鐘宇」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「洪鐘宇」の関連用語

洪鐘宇のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



洪鐘宇のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの洪鐘宇 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの王道の狗 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS