津波による被害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 10:19 UTC 版)
津波での死者・行方不明者は、奥尻島で島の人口の4 %にあたる198人、北海道本島の島牧村や北檜山町・瀬棚町・大成町(いずれも現在のせたな町)などでも死者を出した。また、北海道利尻町から山口県および対馬の広い範囲に津波が押し寄せ、中国地方でも高いところで2 - 4 mの津波があり、船舶や港湾施設に被害があった。 第1波は地震発生後2 - 3分で奥尻島西部に到達し、5 - 7分後には藻内地区のホヤ石水力発電所に到達した。北海道本土側の茂津多岬付近では第1波が地震発生後約5分で到達している。奥尻島西部では第一波到達の10分後に最大波となる第二波(島を回折した津波)が到達した。 津波の被害を最も大きく受けたのは、奥尻島南部の青苗地区である。三方を海に囲まれたこの地区は、震源より直接到達した津波が、市街地でも高さ6.7 mに達したほか、島を回折した波、北海道本土で反射した波と、複数方向から繰り返し津波の襲来を受け、事実上壊滅状態になった。地区の人口1,401人、世帯数504に対し、死者・行方不明者109人、負傷者129人、家屋全壊400棟という被害を出した。このほか、藻内・松江など奥尻島の南半の各地区と、北端の岬にある稲穂地区でも、津波で死者が出ている。 奥尻島は1983年(昭和58年)の日本海中部地震で津波被害を受けており、このときの到達は、地震発生から17分後であった。この経験から徒歩で迅速に避難し助かった人も多くいたが、逆に津波到達までは時間があると判断し、自動車で避難しようとして渋滞中に、また自動車で避難中に避難路の選択を誤ったり、あるいは避難前に用を済ませようとするうちに、津波に飲まれた人も少なくなかった。 自動車による避難は、奥尻町役場付近で鉢合わせして、一時的に渋滞を引き起こし、運転手たちの自主交通整理により、ようやく渋滞解消したこともわかっている。この車両列の鉢合わせ原因として、山側の住民は土砂崩れを警戒し海岸方向へ避難し、逆に海岸住民は津波を警戒し、山側へと進路を取ったことが原因となっていた。 その一方、海岸付近に立てられた鉄筋コンクリート2 - 3階建ての住宅が、一家の命を救ったという事例が存在する。 青苗1 - 2区に到達した津波は、10 m近い高さだった一方で地震発生から17 - 18分後であり、より早く津波が到達した青苗5区と比較して、避難時間の余裕があったことも報告されている。
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