心中天網島
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『心中天網島』(しんじゅう てんの あみじま)は、近松門左衛門作の人形浄瑠璃。1720年(享保5年)12月6日、大坂竹本座で初演[1]。全三段の世話物。
- ^ “歌舞伎事典”. 文化デジタルライブラリー. 日本芸術文化振興会. 2012年9月29日閲覧。
- ^ 『江戸時代の男女関係』 田中香涯著 (有宏社, 1930)
- ^ 『続歌舞伎への招待』暮しの手帖社 1951年
- 1 心中天網島とは
- 2 心中天網島の概要
- 3 登場人物
- 4 映画化
河庄
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『河庄』は初代中村鴈治郎の当り役であった。初代實川延若と中村宗十郎の演じた治兵衛を自分なりに工夫して作り上げたものである。頬かむりをしての花道の出は絶品とされ、岸本水府は「頬かむりの中に日本一の顔」という有名な句に残している。和事のエッセンスが凝縮しており、二代目鴈治郎、当代藤十郎へと伝えられ、大阪の成駒屋のお家芸(玩辞楼十二曲)の一つとなっている。 『河庄』における初代鴈治郎の素晴らしさは、大阪はもちろん東京の好劇家をも魅了した。1905年(明治38年)歌舞伎座の上演ではあまりの評判に2日日延べをしたほどであった。 新派の花柳章太郎は治兵衛を演じようと独自の工夫を考えたが、「あの花道の出だけはどうしても鴈治郎から離れられない[要出典]」と脱帽し、六代目尾上菊五郎は、荒事風に足を割って足をにじらせる演技を見て「あのギバの足の運びは真似できねえ[要出典]」と歎息した。 『河庄』には孫右衛門とお庄という脇役が大きな役割を占めている。孫右衛門は町人であるが侍に変装している。その不自然さと滋味に富む演技が求められ、戸板康二は「じっと脇役としての自分をおさえつつ、主役の治兵衛を思うままに働かせるのである。これは、実力のよほど要ることなのである。」とその難しさを評している。 初代鴈治郎には二代目中村梅玉や七代目市川中車が、二代目鴈治郎には十三代目片岡仁左衛門、八代目阪東三津五郎 、現藤十郎には十七代目市村羽左衛門、十二代目市川團十郎など腕達者な役者がつきあった。お庄は「封印切」のおえんとともに歌舞伎の代表的な花街の女将(花車方という役柄)である。情けがあり色気の漂う雰囲気が求められる。近年では十三代目片岡我童(十四代目片岡仁左衛門)が得意としていた。
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