河内本とは? わかりやすく解説

河内本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/10 09:13 UTC 版)

河内本(かわちぼん)は、『源氏物語』の写本のうち、大監物源光行とその子源親行(いわゆる河内方)が作成したとされるもの、およびそれを写して作成されたとされるものをいう。「河内本」という呼び名は光行・親行がともに河内守を歴任していることに由来する。




  1. ^ 例えば旧平瀬家所蔵本の奥書によれば1265年(文永2年)、1266年(文永3年)及び1268年(文永5年)にも校訂作業が行われたとの記述が見られる。
  2. ^ 伊藤鉄也「中山本『源氏物語』(国立歴史民俗博物館蔵)」人間文化研究機構国文学研究資料館編『立川移転記念特別展示図録 源氏物語 千年のかがやき』思文閣出版、2008年10月、p. 94。 ISBN 978-4-7842-1437-2
  3. ^ 山脇毅「平瀬本源氏物語」『藝文』1921年(大正10年)12月号、のち『源氏物語の文献学的研究』創元社、1944年(昭和19年)10月、pp.. 77-104。
  4. ^ 天理図書館編輯『天理図書館叢書 天理図書館稀書目録 和漢書之部 第三』天理大学出版部、1960年(昭和35年)、p. 358。


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河内本

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吉川本源氏物語」の記事における「河内本」の解説

現在は山口県岩国市吉川史料館所蔵されている54帖の揃い本である。一部補写と見られる巻を含むが補写の巻も含めて少なくとも室町時代以前成立と見られる。本写本は元毛利家にあったもので、吉川広家息子吉川広正毛利輝元の娘「たけ」の婚儀元和2年7月19日)の際毛利家からもたらされたものとされる。この写本本文自体は河内本であり、河内本の中では尾州家本や鳳来寺本とは多く異なり見せるものの、御物本には近い本文であり、また耕雲本一致する本文とってい場合存在する。本写本本文には河内本系統の写本のなかでは平瀬本に近い部分もあり校訂途中思わせる部分があったり空蝉巻の前半部分などに青表紙本底本として書写されたのではないかと見られる部分含まれている。 蓬生関屋松風薄雲少女玉鬘夕霧室町時代以前補写と見られる。この補写部分本文青表紙本系統で、本写本特色である目録勘物持っていない。

※この「河内本」の解説は、「吉川本源氏物語」の解説の一部です。
「河内本」を含む「吉川本源氏物語」の記事については、「吉川本源氏物語」の概要を参照ください。

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