河内本
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河内本(かわちぼん)は、『源氏物語』の写本のうち、大監物源光行とその子源親行(いわゆる河内方)が作成したとされるもの、およびそれを写して作成されたとされるものをいう。「河内本」という呼び名は光行・親行がともに河内守を歴任していることに由来する。
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- ^ 例えば旧平瀬家所蔵本の奥書によれば1265年(文永2年)、1266年(文永3年)及び1268年(文永5年)にも校訂作業が行われたとの記述が見られる。
- ^ 伊藤鉄也「中山本『源氏物語』(国立歴史民俗博物館蔵)」人間文化研究機構国文学研究資料館編『立川移転記念特別展示図録 源氏物語 千年のかがやき』思文閣出版、2008年10月、p. 94。 ISBN 978-4-7842-1437-2
- ^ 山脇毅「平瀬本源氏物語」『藝文』1921年(大正10年)12月号、のち『源氏物語の文献学的研究』創元社、1944年(昭和19年)10月、pp.. 77-104。
- ^ 天理図書館編輯『天理図書館叢書 天理図書館稀書目録 和漢書之部 第三』天理大学出版部、1960年(昭和35年)、p. 358。
河内本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 05:12 UTC 版)
現在は山口県岩国市の吉川史料館に所蔵されている54帖の揃い本である。一部に補写と見られる巻を含むが補写の巻も含めて少なくとも室町時代以前の成立と見られる。本写本は元毛利家にあったもので、吉川広家の息子吉川広正と毛利輝元の娘「たけ」の婚儀(元和2年7月19日)の際毛利家からもたらされたものとされる。この写本の本文自体は河内本であり、河内本の中では尾州家本や鳳来寺本とは多くの異なりを見せるものの、御物本には近い本文であり、また耕雲本に一致する本文をとっている場合も存在する。本写本の本文には河内本系統の写本のなかでは平瀬本に近い部分もあり校訂途中を思わせる部分があったり空蝉巻の前半部分などに青表紙本を底本として書写されたのではないかと見られる部分も含まれている。 蓬生、関屋、松風、薄雲、少女、玉鬘、夕霧が室町時代以前の補写と見られる。この補写の部分は本文が青表紙本系統で、本写本の特色である目録と勘物を持っていない。
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