沙鉢羅咥利失可汗
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沙鉢羅咥利失可汗(Ϊšbara teriš qaγan、呉音:しゃはちらでちりしちかがん、漢音:さはつらてつりしつかがん、拼音:Shābōluódiélìshī kĕhàn、? - 639年)は、西突厥の可汗。咄陸可汗(トゥロク・カガン)の弟。沙鉢羅咥利失可汗(イシュバラ・テリシュ・カガン)[1]というのは可汗号で、姓は阿史那氏、名は不明。同娥設(トンガ・シャド Toŋa Šad)[2]という官職に就いていた。
- ^ 「咥利失」は古代テュルク語で「集めること」を意味する「ティリシュ tiriš」「テリシュ teriš」の音写かもしれない。(佐口・山田・護 1972,p222)
- ^ 「トンガ Toŋa」は「豹」「英雄」を意味し、人名や称号、またはその一部として用いられた。(佐口・山田・護 1972,p222)
- ^ 「統」は「暾」とも写されるテュルク語と思われ、クリャシュトルヌィによると、「暾」は「第一の」「最初の」などを意味するテュルク語「トン ton」「トゥン tun」の音を写したものであるという。(佐口・山田・護 1972,p214)
- ^ 「歩利」はテュルク語で「狼」を意味する「ボリ Böri」の音写。(佐口・山田・護 1972,p224)
- ^ 内藤 1988,p173-174
- ^ クリャシュトルヌィによれば、「大切なもの、珍しいもの」を示すテュルク語「ヨクク yoquq」を音写したものであるという。(佐口・山田・護 1972,p225)
- 1 沙鉢羅咥利失可汗とは
- 2 沙鉢羅咥利失可汗の概要
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