池田三左衛門とは? わかりやすく解説

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池田輝政

(池田三左衛門 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/31 14:13 UTC 版)

池田 輝政(いけだ てるまさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将大名美濃池尻城主、同大垣城主、同岐阜城主、三河吉田城主を経て、播磨姫路藩初代藩主となる。姫路城を現在残る姿に大規模に修築したことで知られる。


注釈

  1. ^ 秀吉は恒興の老臣である伊木忠次に6万石を与えて池田家の勢力を弱めようとしたが、伊木の固辞と懇請で輝政が継ぐことを許されたという。
  2. ^ この頃は羽柴吉田侍従と称された
  3. ^ ただし七将の内訳は史料により異なり、三成襲撃事件に関する家康の書状に輝政は挙げられていないため、そもそも襲撃に関わったかどうかには疑義がある。
  4. ^ うち西播磨三郡(宍粟郡佐用郡赤穂郡)10万石は督姫の化粧料
  5. ^ 宰相は参議の唐名
  6. ^ 孫の池田光政により寛文7年(1667年)に改葬。
  7. ^ 督姫の生年は永禄8年(1565年)とするものと、天正3年(1575年)とするもので二つの説があり、後者を取ると督姫は弟・秀忠の正室となった崇源院より若いことになる。また秀忠は崇源院より少なくとも6つ以上年少であった。
  8. ^ 「輝政様御威勢おびただしき事にて候。姫路の事は置き、備前へも諸大名上り下りに寄られ、又輝政様駿河へ御越之節にも、尾張様・紀州様など阿部川迄迎に御出成されし由也」(『有斐録』)

出典

  1. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 85頁。
  2. ^ 『日本人名大辞典』講談社。『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞出版。
  3. ^ a b 岡山県神社庁
  4. ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
  5. ^ a b c d e f g h 深谷, 黒田基樹「池田輝政の発給文書について」
  6. ^ a b c d e f g h 阿部猛西村圭子 編『戦国人名事典』新人物往来社、1990年、76頁。 
  7. ^ a b c d e f g h 岡田, p. 222
  8. ^ 山本 2012, p. 72.
  9. ^ 『新訂 寛政重修諸家譜 第五』 1964, p. 43.
  10. ^ 岡田, p. 444.
  11. ^ 谷口, p. 17.
  12. ^ a b 村川 2000, p. 28
  13. ^ 黒田基樹「池田輝政の発給文書について」(深谷克己『岡山藩の支配方法と社会構造』1994・95年度科学研究費補助金 一般研究(B) 研究成果報告書、1996年)
  14. ^ a b 岡田, p. 223
  15. ^ 村川 2000, p. 112.
  16. ^ 九三 (慶長五年)八月十八日 中川秀成起請文写”. 神戸大学附属図書館. 2019年1月1日閲覧。
  17. ^ 山本浩樹「関ヶ原合戦と尾張・美濃」(谷口央編『関ヶ原合戦の深層』高志書院、2014年)
  18. ^ 谷口, p. 18.
  19. ^ 伊勢神宮と深く関わる金剛證寺の秘仏・虚空蔵菩薩、20年に1度のご開帳”. 伊勢志摩経済新聞 (2014年10月2日). 2017年7月22日閲覧。
  20. ^ 村川 2000, p. 103.
  21. ^ 岡山大学附属図書館・ 林原美術館編集『天下人の書状をよむ 岡山藩池田家文書』(吉川弘文館、2013年)ISBN 9784642080903
  22. ^ 『家忠日記増補』. https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/850/8500/02/1210/0087?m=all&s=0087&n=20 
  23. ^ 『孝亮宿禰日次記』. https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/850/8500/02/1210/0159?m=all&s=0159&n=20 
  24. ^ 当代記』では好色ゆえの腎虚とされた。ただし現代の西洋医学において性行為と腎虚にあたる症状との因果関係は立証されていない。
  25. ^ 宮本義己「徳川家康と本草学」(笠谷和比古 編 『徳川家康―その政治と文化・芸能―』宮帯出版社、2016年)
  26. ^ 『池田氏家譜集成』巻三十収録『因州鳥取慶安寺略記』. https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/850/8500/02/1217/0783?m=all&s=0779&n=20 2019年2月12日閲覧。 
  27. ^ a b c 村川浩平「羽柴氏下賜と豊臣姓下賜」『駒沢史学』49号、1992年。 
  28. ^ 実名は『因府年表』や鳥取市正栄山妙要寺所蔵の肖像画による。
  29. ^ 『池田氏家譜集成 池水記』に享年17とする記述がある。
  30. ^ 大森映子「岡山藩池田家における婚姻事例 : 分家との比較を中心として」『湘南国際女子短期大学紀要』第5号、湘南国際女子短期大学、1998年2月、144-124頁、ISSN 09198938NAID 110006184476 


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