江藤隆美
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江藤 隆美(えとう たかみ、男性、1925年4月10日 - 2007年11月22日[1])は、日本の政治家。位階は正三位。勲等は勲一等。自由民主党の衆議院議員として建設大臣、運輸大臣、総務庁長官を歴任した。
注釈
- ^ 亀井静香は「江藤さんは閣僚ながらまさかの落選を喫する。成田の問題に熱心に取り組むあまり、地元にほとんど入ることができなかったからだ。自分の当選だけを考える議員が多いなか、自分の果たすべき仕事を優先する稀有な人だった。」と述べている[7]。江藤本人は、「今から思えば、調子に乗りすぎて失敗したのが敗因だったが、グチをいわせてもらえば、仲間の応援に駆り出されて、自分自身の選挙区にまったく戻れず、全国を飛び回っていたということだ」としている。また選挙期間中に妻は過労により意識不明となり、入院している[8]。
- ^ 梶山は総裁選に破れ小渕恵三が総理総裁となるが、江藤は小渕の総理大臣としての手腕については評価している[9]。
- ^ 亀井は「しかし、今となっては、どちらが国民の方を向いていたのかは明らかなのではないか。俺は常に下からの目線の政治を大切にしてきたが、江藤さんも百姓出身なだけに、常に下から目線の政治家だったのだ」としている[7]。
- ^ なお、「抵抗勢力」は2001年の流行語大賞にもノミネートされ、受賞者は「該当者なし」とされた[16]。
- ^ 亀井静香は「公団が仁義を切らずに力で押し切り、土地を強制収用したことに対して、江藤さんは元農民として、深い同情を寄せていたのだと思う」と回顧している[7]。
- ^ 実際には、「外国からそのような意見を受けることがあるが、我々はそれをするつもりがない」という趣旨の発言であった[25][31]。
- ^ 国際連盟の結成は1920年、国際連合の結成は1945年であり、1910年当時はいずれも存在していない。
出典
- ^ a b c d e f g h "江藤隆美". デジタル版 日本人名大辞典+Plus. コトバンクより2022年5月4日閲覧。
- ^ a b 江藤 2003, p. 164.
- ^ 江藤 2003, 著者略歴.
- ^ 江藤 2003, p. 167.
- ^ 江藤 2003, pp. 110–112.
- ^ a b 江藤 2003, pp. 119–123.
- ^ a b c d e f g h 週刊現代2019年3月2日号、連載亀井静香の政界交差点/第16回、江藤隆美-「下から目線」で筋を通した人格者、66-67頁
- ^ a b 江藤 2003, pp. 197–200.
- ^ 江藤 2003, pp. 149–152.
- ^ 江藤 2003, pp. 137–148.
- ^ “元旦号・1集・1部:勳一等旭日大綬章の江藤隆美氏大いに語る”. 日本食糧新聞電子版 (1999年1月1日). 2021年8月14日閲覧。
- ^ a b “月刊基礎知識 from 現代用語の基礎知識”. www.jiyu.co.jp. 自由国民社. 2019年12月11日閲覧。
- ^ “参議院会議録情報 第174回国会 本会議 第24号”. kokkai.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2019年12月11日閲覧。
- ^ “第174回国会 農林水産委員会 第13号(平成22年5月25日(火曜日))”. www.shugiin.go.jp. 2019年12月11日閲覧。
- ^ “第180回国会 農林水産委員会 第3号(平成24年3月21日(水曜日))”. www.shugiin.go.jp. 2019年12月11日閲覧。
- ^ “第18回 2001年 授賞語”. 「現代用語の基礎知識」選 ユーキャン 新語・流行語大賞. 自由国民社. 2022年3月13日閲覧。
- ^ 江藤 2003, p. 1.
- ^ “江藤隆美氏が死去/元建設相、元運輸相”. 四国新聞社 (2007年11月22日). 2021年8月14日閲覧。
- ^ “【単刀直言】森喜朗元首相「僕のときもそうだったけどマスコミの印象操作は相変わらずひどいな」「内閣改造は嫌いな人や縁遠い人ほど近くに置くことが大事なんだ」「加計学園の真相を一番知っているのは…」”. 産経ニュース (2017年7月27日). 2020年4月1日閲覧。
- ^ 江藤 2003, pp. 22–23.
- ^ 江藤 2003, p. 168.
- ^ 反対同盟 1990, pp. 77–88.
- ^ a b c d e 福田克彦 (2001-10-15). 三里塚アンドソイル. 平原社. pp. 349-353
- ^ 原口和久『成田空港365日』崙書房、2000年、204-205頁。
- ^ a b c d 朝日新聞成田支局『ドラム缶が鳴りやんで―元反対同盟事務局長石毛博道・成田を語る』四谷ラウンド、1998年、130-133頁。
- ^ a b c 伊藤睦 編『三里塚燃ゆ―北総台地の農民魂』平原社、2017年、100-102・254-255頁
- ^ a b c d e 江藤 2003, pp. 189–196.
- ^ 反対同盟 1990, p. 105.
- ^ “「今さら」すれ違う感情 成田の運輸相会談 解決への道険しく”. 讀賣新聞 夕刊: 14. (1990-01-30).
- ^ 反対同盟 1990, pp. 119–120.
- ^ a b 反対同盟 1990, pp. 145–146.
- ^ 反対同盟 1990, pp. 101–149.
- ^ 原口和久『成田空港365日』崙書房、2000年、41頁。
- ^ “元小川派代表の兄弟が成田空港内の土地売買契約を締結”. www.mlit.go.jp. 平成8年度運輸白書. 国土交通省. 2021年8月12日閲覧。
- ^ a b “成田問題で江藤氏慰労 元熱田派呼びかけ懇談会”. 讀賣新聞千葉版: 32. (2004-04-15).
- ^ 第134回国会 参議院本会議 第4号 平成7年10月5日(029 村山富市)(PDF) - 国会会議録検索システム、2021年8月12日閲覧。
- ^ a b 江藤 2003, pp. 50–55.
- ^ a b “「政府高官」としか書けない 「オフレコ懇談」とは何か”. J-CASTニュース (2009年3月9日). 2019年12月15日閲覧。
- ^ a b “南京虐殺30万人はうそ 江藤氏、講演で発言”. 共同通信社. 47NEWS. (2003年7月12日). オリジナルの2013年12月20日時点におけるアーカイブ。 2017年1月25日閲覧。
- ^ “「植民地期間に良いことも」発言の自民党議員、またも妄言” (日本語). 東亜日報日本語版. (2003年7月13日) 2017年1月25日閲覧。
- ^ a b c “江藤隆美衆議院議員の発言について(談話)”. 社民党OfficialWeb (2003年7月14日). 2020年7月8日閲覧。
- ^ “江藤氏発言「嘆かわしい」 韓国、一斉に反発”. 共同通信社. 47NEWS. (2003年7月13日). オリジナルの2013年12月20日時点におけるアーカイブ。 2017年1月25日閲覧。
- ^ “「動かぬ証拠」と反論 江藤氏発言に中国”. 共同通信社. 47NEWS. (2003年7月13日). オリジナルの2013年12月20日時点におけるアーカイブ。 2017年1月25日閲覧。
- ^ 「98年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、及び外国人の受章者一覧」『読売新聞』1996年11月3日朝刊
江藤隆美
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アジア諸国への侵略と植民地支配を謝罪した村山談話は、戦後50年の終戦記念日である1995年8月15日に閣議決定され、いわゆる「タカ派」と称される江藤隆美総務庁長官、島村宜伸文部大臣、平沼赳夫運輸大臣らも一切の異議なく談話に署名した。その後「植民地時代は日本は良いことをした」と発言した江藤隆美総務庁長官を、村山は政府の見解とは異なる発言をしたとして、更迭した。
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