江口保
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/02 21:27 UTC 版)
江口 保(えぐち たもつ、1928年〈昭和3年〉7月17日 - 1998年〈平成10年〉6月16日[1])は、日本の平和運動家[2]。長崎県長崎市出身で、長崎市への原子爆弾投下による被爆者の1人[1]。
- ^ a b 江口保『いいたかことのいっぱいあっと』クリエイティブ21、1998年、255頁。ISBN 978-4-906559-11-4。
- ^ a b c d e 『平和人物大事典』鶴見俊輔監修、日本図書センター、2006年、99頁。ISBN 978-4-284-10000-7。
- ^ a b “核の恐怖伝え続けて……”. 朝日新聞 東京夕刊 (朝日新聞社): p. 19. (1998年6月19日)
- ^ a b c d 西秀治 (1998年8月12日). “ヒロシマ・ナガサキの修学旅行を手伝う会・江口保さん”. 朝日新聞 東京夕刊: p. 3
- ^ 江口 1998, p. 47.
- ^ 上坂冬子『生き残った人びと』下、文藝春秋、1989年、104-105頁。ISBN 978-4-16-343480-3。
- ^ a b c d 『植民地と戦争責任』早川紀代編、吉川弘文館〈戦争・暴力と女性〉、2005年、184-186頁。ISBN 978-4-642-06273-2。
- ^ 山崎朋子「いいたかことの、いっぱいあっと」『月刊福祉』第81巻第11号、全国社会福祉協議会、1998年10月、 65頁、 NCID AN00274659。
- ^ 林雅行「90歳の戦災傷害者、いまも歩く」『軍縮地球市民』第6号、明治大学軍縮平和研究所、2006年10月、 177頁、 ISBN 978-4-88866-437-0。
- ^ a b c 山口誠他編著『複数の「ヒロシマ」記憶の戦後史とメディアの力学』青弓社、2012年、258-296頁。ISBN 978-4-7872-3340-0。
- ^ 江口 1998, pp. 80-158.
- ^ a b 小林文男「いいたかことのいっぱいあっと 長崎被爆教師・ヒロシマ修学旅行の草分け 江口保さんを悼む」『月刊状況と主体』第272号、谷沢書房、1998年8月、 42-52頁、 NAID 40004299699。
- ^ a b “伝えなおす夏 反核新時代へ「語り」形がい化を憂慮”. 毎日新聞 東京朝刊 (毎日新聞社): p. 26. (1998年8月7日)
- ^ “ヒロシマの記録 1998 10月”. ヒロシマ平和メディアセンター. 中国新聞社. 2015年11月17日閲覧。
- ^ 朝日新聞 1998, p. 19より引用。
- ^ 西 1998, p. 3より引用。
[続きの解説]
- 江口保のページへのリンク