水平社博物館事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 09:15 UTC 版)
詳細は「水平社博物館前差別街宣事件」を参照 2011年1月22日、奈良県御所市柏原の水平社博物館の前で、同博物館の企画展「コリアと日本―韓国併合から100年」を弾劾する街宣活動を行う。この活動の様子はSAPIO(8/22・29合併号)の『ゴーマニズム宣言』で批判という形で描かれた。同年6月、上記の事件を解放新聞から「差別街宣事件」と報じられたため、この記事の掲載紙を購入するために大阪市の解放新聞社を訪れたところ、「お前に売る新聞はない」と罵声を浴びせられる。このため、解放新聞の購入を拒否されたことを人権侵害であるとして大阪地方法務局に救済を求めたが、相手にされなかったという。 同年8月、水平社博物館(理事長川口正志)から名誉毀損による1000万円の損害賠償請求訴訟を奈良地裁に提起される。川東当人は水平社博物館に和解を求めたがこれを拒絶された。なお、川東の代理人を引き受ける弁護士が見つからなかったため、この裁判は川東当人による本人訴訟で進行した。 2011年10月17日、第1回口頭弁論が奈良地裁で開かれる。同年12月19日、第2回口頭弁論が奈良地裁で開かれる。 2012年3月5日、第3回口頭弁論が奈良地裁で開かれる。同年5月7日、第4回口頭弁論が奈良地裁で開かれる。 同年6月25日、水平社博物館に対する慰謝料150万円の支払いを命じる第1審判決を下される。 川東自身は判決前に「水平社博物館にも街宣をしたかったが、これも色々な事情があって、出来なかった。けど、判決が出たら、又、やるからねw(告知は出さずに、一人で行くけど)」「とりあえず、30万以下なら(俺の中で)『勝利』としている」と発言していたが、この判決に控訴せず、150万円の慰謝料を月1000円の割賦で払い続けた。なお、2012年8月3日現在、1万1000円しか払っていないことについては原告側の弁護士から非難を受け、150万円を一括で払わなければ強制執行をかけると通告されていたが、川東は「生活の為の費用を差し引くと、月に1000円の支払いが限度の状況です。強制執行をされて納得されるのでしたら、どうぞ、強制執行をされて結構です」と返答していた。しかしその後、同年8月30日に水平社博物館が生命保険金支払請求権と預金債権の差し押さえを実行し、遅延損害金などを含む156万249円を回収。川東自身は「俺の損害賠償が全部、解消したので、本当は「ありがとう」になるのかもしれないが、全然、ありがたくない」「何にせよ、寄付金で助けて貰っておいて、自分は多額のお金を敵に渡してしまった事は事実・・・本当に申し訳ない」と発言している。 川東はまた、判決後に「誇りあり、そして、感謝するご先祖様が「人攫い」「強姦魔」であるとする歴史捏造の企画展を開催した水平社博物館に「ドエッタども、文句あったら出て来い」と抗議の活動を行った事も、私にとっては日本人として、漢として何ら恥ずかしい事はない事である」とも発言している。さらに、「8月中には水平社博物館に行きたい」「歴史捏造があれば、差別の無い社会の実現の為に、歴史捏造を糺す行動を起こす」「何度、訴えられて、何度、敗訴しても、誇りある我がご先祖様を侮辱されれば、相手がチョンコであれチャンコロであれ、ど糞エッタであれ、黙っている事はない」と、再び水平社博物館で街宣をおこなうことを示唆。11月3日に再び街宣活動をおこなおうとして水平社博物館前に現れ、奈良県警に阻止された。このため「今回の失敗を踏まえ、今後は事前に警察に連絡を入れる事はせずに、街宣に行きます。12月4日~16日の間は、行きませんので、これだけサービスで教えてあげます」と発言していた。その後、同年12月29日、年末休館中の水平社博物館の前に現れ、街宣活動をおこなおうとしたところ、やはり奈良県警に阻止されたことを報告している。 2013年1月22日、水平社博物館前での街宣を再度実行、このとき「(奈良県警から)終始、つきまとい行為をされ、身体に対する害悪の告知を受けた」と述べ、当日の演説を録音したmp3ファイルを公開している。
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