武蔵野鉄道とは? わかりやすく解説

武蔵野鉄道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 14:27 UTC 版)

西武鉄道」の記事における「武蔵野鉄道」の解説

武蔵野鉄道は、1911年明治44年10月18日鉄道免許取得し1912年明治45年5月7日設立当初巣鴨駅起点とする計画であったが、東京府池袋駅起点にするよう指示したため、1913年大正2年4月計画変更1915年大正4年4月15日現在の池袋線一部である池袋駅 - 飯能駅間を開業した1922年大正11年)に池袋駅 - 所沢駅間、1925年大正14年)に飯能駅までの全線電化し、1929年昭和4年9月10日吾野駅まで開業させた。なお西武豊島線は1927年昭和2年)に、狭山線1929年昭和4年)に開業している。 一方1924年大正13年)に箱根土地(後のコクド現在のプリンスホテル)が武蔵野鉄道沿線東京府北豊島郡大泉村大泉学園都市分譲開始。武蔵野鉄道に東大泉駅現在の大泉学園駅)を建設した上で寄贈する。翌1925年には武蔵野鉄道の株式取得したまた、箱根土地1928年昭和3年)、村山貯水池多摩湖)および小平地区一帯開発すべく、多摩湖鉄道設立4月6日国分寺駅 - 萩山駅間を開業し1936年昭和11年12月30日村山貯水池まで開業させ、全通した1932年昭和7年)に箱根土地社長堤康次郎経営危機に陥っていた武蔵野鉄道の株式を買い集め、再建乗り出す1934年昭和9年8月28日、武蔵野鉄道は鉄道抵当法に基づく強制執行実施され運賃収入強制管理人に差し押さえられる(1937年昭和12年〉まで)。 1935年昭和10年1月21日からは、9か月分の電力料金17万円滞納理由東京電燈から制限送電を受け、最大5600kwを必要とするところを4000kwしか受電できなくなった通勤時の輸送能力激減して混乱招いたため、東京電燈側は沿線住民に対して制限送電を行う経緯記した文書配布し理解求めた経営は一層苦境に立たされるが、1936年昭和11年)に武蔵野鉄道と債権者の間で和議成立する1938年昭和13年)、大口債権者である東武鉄道初代社長初代根津嘉一郎らがようやく債務免除応じ経営再建道筋をつけた。 1940年昭和15年3月12日、武蔵野鉄道は同系の多摩湖鉄道吸収合併する。10月、堤は根津および浅野財閥(元々の親会社)から株式取得して過半数確保し社長に就任した長年西武鉄道株式のうち約45%を箱根土地後身会社であるコクド保有していて、他に西武建設保有分を合わせる関連会社による持分過半数占めていたのはこの一件由来する)。

※この「武蔵野鉄道」の解説は、「西武鉄道」の解説の一部です。
「武蔵野鉄道」を含む「西武鉄道」の記事については、「西武鉄道」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「武蔵野鉄道」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「武蔵野鉄道」の関連用語

武蔵野鉄道のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



武蔵野鉄道のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの西武鉄道 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS