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橿原市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/12 09:53 UTC 版)
| かしはらし 橿原市 |
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|---|---|
| 橿原市旗 橿原市章 | |
| 国 | |
| 地方 | 近畿地方 |
| 都道府県 | 奈良県 |
| 団体コード | 29205-2 |
| 面積 | 39.52km² |
| 総人口 | 125,449人 (推計人口、2011年12月1日) |
| 人口密度 | 3,170人/km² |
| 隣接自治体 | 御所市、桜井市、大和高田市 北葛城郡広陵町、磯城郡田原本町 高市郡明日香村、高取町 |
| 市の木 | 樫 |
| 市の花 | くちなし |
| 市の色 | 白色・緑色・茶褐色 |
| 橿原市役所 | |
| 所在地 | 〒634-8586 奈良県橿原市八木町一丁目1番18号 |
| 外部リンク | 橿原市公式WEB |
| ウィキプロジェクト | |
橿原市(かしはらし)は、奈良県中部の市。総人口約125,000人と、奈良市に次ぐ県下第二の都市である。市名は「神武天皇橿原の宮」に由来する。
目次 |
地理
地形
奈良盆地の南東部に位置し、市域のほとんどは平坦地であるが、畝傍山・天香具山・耳成山の大和三山が優美な姿を見せる。
気候
夏暑く冬は寒い、また雨が少ない盆地特有の内陸性の気候である。
人口
| 橿原市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 橿原市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||
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■紫色 ― 橿原市
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 |
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橿原市(に該当する地域)の人口の推移
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| 総務省統計局 / 国勢調査 | ||||||||||||||||||||||||||||
平成22年国勢調査(速報値)より前回調査からの人口増減をみると、0.68%増の125,573人であり、増減率は県内39市町村中6位。
- 2010年4月1日現在 : 125,605人
- 人口増加率(2002年→2007年) : -0.8%
歴史
- 古代の大和国高市郡遊部(あそべ)郷・久米(くめ)郷・雲梯(うなて)郷、十市郡神戸(かむと)郷の地であり、十市御県坐神社・久米御県神社・畝火山口坐神社・川俣神社・高市御県神社・天太玉命神社・宗我坐宗我都比古神社など数多くの延喜式内社が鎮座する。
- 飛鳥時代には、「八木村付曽武橋当世八木村に俗にそむぼう乃橋というあり。聖徳太子斑鳩の宮より筋違道(太子道)を経て、曽武々の橋をわたり、八木の里を過ぎて、橘の宮に通い給いしなり」(玉林抄)とあり、聖徳太子は舎人調使麻呂と愛馬「甲斐の黒駒」を伴って曽武(蘇武)井で休憩されたと伝えられている。
- 694年に日本最初の都城である藤原京が造営され、都が平城京に移転するまで16年存続した。
- 戦国時代には今井町が一向宗の布教拠点として環濠城塞都市化し、織田信長軍と闘ったが武装解除されたものの検断権を許されて自治都市として発展し、『海の堺・陸の今井』と称された。
- 幕末から神武天皇建国の地として注目され、畝傍陵が造営され、また明治期には官幣大社・橿原神宮も創建された。
- 高度経済成長期には大阪市や京都市、奈良市などのベッドタウンとして人口流入が続いた。
沿革
- 1956年2月11日 - 高市郡八木町・今井町・畝傍町・真菅村・鴨公村・磯城郡耳成村の合併によって市制施行。
- 1956年7月3日 - 高市郡金橋村・新沢村を編入。
- 1956年9月16日 - 市章を制定する。[1]
- 1957年7月1日 - 磯城郡田原本町のうち、飯高・大垣・豊田・新口・西新堂の5大字を編入。
- 1976年10月1日 - 市旗を制定する。[2]
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