機械式計算機
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機械式計算機 (きかいしきけいさんき、英語: mechanical calculator, mechanical calculating machine 等)は、歯車などの機械要素により計算を行う計算機である。
注釈
- ^ 「ディジタル」は、「指」などの意味のある digit に由来する語である。 なお「アナログ」には、比例量的なという意味があり、 以下で述べる機械式計算機の多くが、二進法的な機構ではなく、回転板の角度などで数を表現しているという点では、アナログ的な部分もある。
- ^ 計量言語学など、文系分野でも計算する分野はある。
- ^ 日本の「タイガー計算器」の場合、1968年頃に生産・出荷のピークを迎えた後、1970年前後に一気に急落した(出典:『計算機屋かく戦えり』p. 162, 164)
- ^ タイガー計算機株式会社は、以降事務器製造に転じ、1970年代中期以降はタコグラフや運送会社の運行管理コンピュータソフト開発に転じた。1991年には株式会社タイガーと改称、2021年でも現存する。
出典
- ^ スイッチング理論の原点を尋ねて
- ^ ブレーズ・パスカル、「ペンやチップなしに規則的動作によりあらゆる算術演算を行うためB.P.により新たに発明された機械に関して大法官閣下に献呈する書簡」(Lettre dédicatoire à Monseigneur le Chancelier sur le sujet de la machine nouvellement inventée par le sieur B.P. pour faire toutes sortes d'opérations d'arithmétique par un mouvement réglé sans plume ni jetons)、Wikisource:fr:La Machine d'arithmétique、1645年。
- ^ 前島正裕「明治前期の機械式計算器の開発に関する一考察」、国立科学博物館研究報告 E類(理工学) 第39巻 pp. 59〜
- ^ 和田英一「情報処理技術遺産 : 自働算盤」
- ^ 矢頭良一(手動計算機)
- ^ The History of Japanese Mechanical Calculating Machines (英文サイト)
- ^ “矢頭良一…大空への夢、計算機発明(福岡県豊前市)”. 読売新聞 2008年7月30日閲覧。
- ^ 矢頭良一の機械式卓上計算機「自働算盤」に関する調査報告、国立科学博物館 産業技術史資料情報センター かはく技術史大系(技術の系統化調査報告書)(PDFファイル)
- ^ http://www.jsme.or.jp/kikaiisan/data/no_030.html
機械式計算機
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詳細は「機械式計算機」を参照 タイガー計算機など、第二次世界大戦前は主流だったが、電子計算機の普及により、廃れた。 惑星の運行をシミュレートする惑星運行儀も一種の機械式計算機に含まれる。
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機械式計算機
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詳細は「機械式計算機」、「チャールズ・バベッジ」、「階差機関」、「解析機関」、および「エイダ・ラブレス」を参照 科学の急激な発展と共に、より精度の高い対数表に対する需要が大きくなった。マルティン・ヴィーベリは、1875年に対数表を作成することが出来る階差機関に似た機構を持つ機械を発明した。アナログ乗算器でも対数を用いた A B = e log A + log B {\displaystyle AB=\mathrm {e} ^{\log {}A+\log {}B}} という等式を利用する方法が用いられていた。
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機械式計算機
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詳細は「機械式計算機」を参照 ドイツの博学者ヴィルヘルム・シッカートは1623年に calculating clock を設計したが、製作中の1624年に火事で破壊され、シッカートは完成をあきらめた。1957年に2枚のスケッチが発見されたが、既に計算機の歴史に影響を及ぼすには遅かった。 1642年、まだ十代だったブレーズ・パスカルが計算機の先駆的研究を始め、3年後に完成させて50台の試作機を作った。このため一般にパスカルが機械式計算機の発明者とされている。その後10年間に20台の(Pascaline と称した)計算機を作った。 ゴットフリート・ライプニッツは1672年、Pascaline を改良して乗除算を直接計算できるようにした Stepped Reckoner を発明。重要な点は段付歯車 (en) 機構である。ライプニッツは「立派な人間が労働者のように計算などという誰でもできることに時間をとられるのは無駄だ。機械が使えたら誰か他の者にやらせるのに」と言ったという。ライプニッツは二進法の提唱者でもあり、今日のコンピュータは全て二進法に基づいて動作している。しかし1940年代ごろまで、計算機は十進法を使っていることが多かった(チャールズ・バベッジの1822年の機関や1945年のENIACなど)。ENIACのリングカウンタは機械式計算機の数字歯車の動きをエミュレートしたものだった。 1820年ごろ、チャールズ・ザビエ・トーマスが世界初の量産された機械式計算機アリスモメーターを作った。これは四則演算が可能だった。ライプニッツの計算機を元にしている。 バベッジの機関については別に述べる。 日本では矢頭良一が1903年に自働算盤という機械式計算機の特許を取得。歯車式で1個の円筒と22枚の歯車などで構成されている。乗算の桁送りと計算終了を自働判定する機能もある、とされている。200台以上が主に軍や政府に売れた。 手回し式の機械式計算機は1970年代ごろ、電卓にとってかわられる直前までさかんに使われ続けた。addiator、コンプトメーター (en)、モンロー計算機 (en)、クルタ計算機、Addo-X、などがある。日本では「タイガー計算器」が代名詞となった。 20世紀になると、機械式計算機、キャッシュレジスター、会計機などは電動機で駆動されるようになった。「コンピュータ(計算手)」という言葉は、そういった計算機械を使って計算を行う職業を意味していた。1920年代、ルイス・フライ・リチャードソンは天気予報に興味を持ち、多数の計算手を集めて気象モデルの数値解析を行うことを提案した。今日でもナビエ-ストークス方程式を使った気象データの数値解析には強力なコンピュータが必要である。 1930年代ごろからフリーデン計算機、マーチャント計算機、モンロー計算機といった企業が四則演算のできる機械式計算機を製造販売し始めた。マンハッタン計画において、後にノーベル賞を受賞したリチャード・P・ファインマンの指揮で多数の女性数学者を計算手として集め、微分方程式の数値解の計算を行った。真空管を使った初期のコンピュータは信頼性が低かったため、マーチャント計算機では八進法版の機械式計算機を発売。コンピュータの計算結果の検算に使った。 1948年、クルタ計算機が登場。小型で携帯可能な機械式計算機である。1950年代から1960年代にかけて、様々な機械式計算機が登場した。 こういった計算機は電卓によっておきかえられた。 世界初の完全電子式の卓上計算機はイギリスの ANITA Mk.VII (1961) で、表示にはニキシー管を使い、177本の小型サイラトロン管を使っていた。1963年6月にはフリーデンがEC-130を発売。こちらはトランジスタを使い、5インチのブラウン管に13桁の数値を表示し、逆ポーランド記法を採用していた(価格は2200ドル)。後継のEC-132では、平方根と逆数を計算する機能も追加されている。1965年にワング・ラボラトリーズが発売したLOCI-2は10桁のトランジスタ卓上計算機で、ニキシー管で表示し、対数も計算できた。
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