橋本左内とは? わかりやすく解説

橋本左内 はしもと さない

橋本左内の肖像 その1
天保5年安政6年1834~1859)

福井県生まれ幕末の志士。父は福井藩医。大坂緒方洪庵適塾医学修得し嘉永5年(1852)帰国安政元年(1854)江戸遊学し藤田東湖西郷隆盛らとも交友した。帰国後、書院番藩校明道館学監同様心得などに取り立てられ横井小楠を招くなど福井藩藩政改革中心となった安政4年(1857)江戸赴いて藩主松平慶永仕え14代将軍に一橋慶喜擁すべく奔走したが、井伊直弼大老就任により挫折安政の大獄により江戸で斬首された。

キーワード その他
号・別称 綱紀(つなのり) , 景岳(けいがく)
著作等近代デジタルライブラリー収載
  1. 啓発録 / 橋本左内(景岳)著 ; 山本忠輔編 山本忠輔, 明22.8 <YDM9516>
  2. 啓発録 / 橋本左内(景岳)著 金原喜一, 明30.10 <YDM9517>

(注:この情報は、国立国会図書館ホームページ内の近代日本人の肖像」の内容を転載しております掲載内容の複製については、国立国会図書館の許諾を得る必要があります。)

橋本左内

読み方はしもと さない

幕末武士医師越前生。福井藩奥医橋本長綱長男。名は綱紀弘道、号は景岳・黎園等。緒方洪庵学び、父の跡を継ぎ藩医となった。のち江戸出て藤田東湖らと交わり藩主松平慶永侍講内用掛となる。開国貿易論提唱、また一橋慶喜擁立尽くし幕政改革唱えた。著に『啓発録』等。安政6年(1859)歿、26才。

橋本左内

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/31 13:28 UTC 版)

橋本 左内(はしもと さない)は、日本武士福井藩士)、志士思想家景岳、黎園(れいえん)[1]綱紀(つなのり)。著書に15歳の時に志を記した『啓発録』(1848年)がある。安政の大獄で25歳で死罪となった。


  1. ^ a b c 『日本大百科全書(ニッポニカ)』「橋本左内 はしもとさない(1834―1859)」(執筆者:山口宗之
  2. ^ 『永遠の青年 景岳橋本左内先生』橋本左内先生奉賛会 1974, p.1
  3. ^ 橋本左内先生奉賛会 1974年, p.19
  4. ^ 橋本左内先生奉賛会 1974, p.28
  5. ^ 福井県文書館資料叢書13『福井藩士履歴』5 の~ま,2017年,p.108
  6. ^ 橋本左内先生奉賛会 1974, p.30
  7. ^ 『福井県大百科事典』福井新聞社百科事典刊行委員会編、福井新聞社、1991年、731頁
  8. ^ これ以前に安政3年(1856年)7月明道館講究師、同9月幹事に任ぜられた。福井県文書館資料叢書13『福井藩士履歴』5 の~ま,2017年,p.108
  9. ^ 「明道館用留抜書」『福井市史』資料編9,1994年
  10. ^ 橋本左内先生奉賛会 1974, pp.43-44
  11. ^ 橋本左内先生奉賛会 1974, p.57
  12. ^ 橋本左内先生奉賛会 1974, p.70
  13. ^ 『人物叢書(新装版) 橋本左内』山口宗之著、吉川弘文館、1985年、12頁
  14. ^ 『足羽小学校百年誌』百年誌記念誌編集委員会、百周年記念事業実行委員会、1973年、188頁
  15. ^ 『啓発録』橋本左内、講談社、1982年、12-15頁
  16. ^ 左内公園に設置された石碑より。
  17. ^ 『啓発録』橋本左内、講談社、1982年、21-47頁
  18. ^ 宮地 2018, p.98
  19. ^ a b 『新修 福井市史1』福井市史編さん委員会、福井市、1970年、285頁
  20. ^ 『福井市寺院名簿』福井市仏教会編 、興宗寺、1968年、278頁
  21. ^ 『新都市 第4巻第2号』都市計画協会編、都市計画協会、1950年、55頁
  22. ^ 『足羽山案内』福井市明林国民学校 刊、1941年(昭和16年)~1946年(昭和21年)、29頁
  23. ^ 「橋本左内先生 銅像除幕式」福井新聞 1932年(昭和7年)10月23日
  24. ^ 『足羽山の今昔』福井市立郷土歴史博物館 1987年(昭和62年)、105頁
  25. ^ 『銅像写真集 偉人の俤[資料編]』田中修二 監修、株式会社 ゆまに書房、2009年、研究資料 413頁
  26. ^ 『われらのほこり 橋本左内先生』うらがまちづくり春山地区委員会、1997年(平成9年)7月1日、13頁
  27. ^ 橋本左内先生奉賛会 1974, p.71
  28. ^ 「左内像除幕」福井新聞 1963年(昭和38年)10月8日
  29. ^ 『橋本左内石像』福井新聞 2007年(昭和38年)10月8日
  30. ^ 岡倉天心―その生涯・美術観・茶道観を貫く「共感」の思想平美恵子、宝塚大学大学院博士課程学位請求論文、2015


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橋本左内

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 22:30 UTC 版)

陽だまりの樹」の記事における「橋本左内」の解説

適塾出身福井藩士。幕府改革もくろむ一橋派二郎勧誘する安政の大獄斬首される。

※この「橋本左内」の解説は、「陽だまりの樹」の解説の一部です。
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