荒川横堤
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荒川横堤(あらかわよこてい)は、埼玉県の荒川周辺にある治水構造物(横堤)である。
注釈
- ^ 実際の長さはこれよりも短い。
- ^ (荒川上流改修六十年史, p. 177,178)には、計画では上杠橋(旧上江橋)とされていた。
出典
- ^ 改修の歴史(その1) - 荒川上流河川事務所(荒川上流部改修100年)
- ^ 熊谷桜堤 - 荒川上流部改修100年
- ^ 治水技術の系譜 -「関東流」と「紀州流」- - 荒川上流部改修100年
- ^ 突堤
- ^ 埼玉平野の成り立ち・風土 57頁 松浦茂樹著. (株)埼玉新聞社. (平成22年1月20日)
- ^ 土木学会 選奨土木遺産 - 土木学会、2016年7月6日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v “洪水を受け止める横堤 (PDF)”. 国土交通省 関東地方整備局 荒川上流河川事務所(荒川上流部改修100年). 2017年2月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年5月17日閲覧。
- ^ 『ポタもやべ 荒川自転車散策1』. アイナフォトブックス 35頁
- ^ a b c 松浦茂樹「荒川中流部における大堤外地と横堤の成立」『水利科学』第28巻第3号、水利科学研究所、1984年、 9-27頁、 doi:10.20820/suirikagaku.28.3_9、 ISSN 0039-4858、 NAID 130007793621。
- ^ 荒川上流改修六十年史, p. 175-177.
- ^ a b 馬宮のあゆみ, p. 226-227.
- ^ 1954年 荒川上流改修工事概要 建設省関東地方建設局 12頁。
- ^ 荒川上流改修六十年史, p. 177,178.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y 埼玉県県民部県史編さん室 『荒川 人文II -荒川総合調査報告書3-』埼玉県、1988年3月5日、23頁。
- ^ a b c d e f 『大宮のむかしといま』226頁。
- ^ 『ポタもやべ 荒川自転車散策1』 アイナフォトブックス 37-40頁。
- ^ 『川越線荒川橋梁工事誌』4頁、5頁
- ^ a b “国指定特別天然記念物「田島ケ原サクラソウ自生地」保存管理計画策定委員会 第10回資料 (PDF)”. さいたま市. p. 16 (2013年12月16日). 2017年2月5日閲覧。
- ^ 『ポタもやべ 荒川自転車散策1』 アイナフォトブックス 60-61頁。
- ^ ポタもやべ 荒川自転車散策1 アイナフォトブックス 65頁
- ^ ポタもやべ 荒川自転車散策1 アイナフォトブックス 65頁・67頁
- ^ 『ポタもやべ 荒川自転車散策1』 アイナフォトブックス 66-69頁。
横堤
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27本の横堤(右岸側13本、左岸側14本)が建設され、2017年現在25本の横堤が存続されている。開平橋より上流側は右岸側に造成され、それより下流側は主に左岸側に造成されている。横堤の位置は交通要路である県道と一致させたため橋梁の接続部分となっている横堤も少なくない。 上流側より記載 右岸:北吉見横堤 - 糠田橋取付。1939年(昭和14年)3月1日着工、同年4月15日竣工、完成延長1100.00 m 右岸:東吉見第二横堤 - 御成橋取付。1933年(昭和8年)4月1日着工、同年7月15日竣工、完成延長1707.30 m。 右岸:東吉見第一横堤1934年(昭和9年)11月1日着工、翌年2月15日竣工、完成延長739.80 m。 右岸本堤がカーブしているため、他の横提と比べ、本堤に対し下流側に向けて霞堤のように斜角が付けられている。右岸本堤は吉見領(現 吉見町)の囲堤を利用しており、囲堤下縁部では市野川に沿って築堤されているため、荒川の流路から遠ざかるよう右岸本堤はカーブしている。そのため他の横堤と比べ下流側に斜角が付くようになった。横堤と堤外地(下流側)は北本市に属している。 右岸:八保第二横堤1934年(昭和9年)7月27日着工、同年8月31日竣工、完成延長71.50 m。 右岸:八保第一横堤 - 太郎右衛門橋取付。1934年(昭和9年)6月26日着工、同年10月15日竣工、完成延長200.30 m。 右岸:出丸第三横堤 - ホンダエアポートの滑走路へのアクセス道路。1934年(昭和9年)6月1日着工、同年8月22日竣工、完成延長176.80 m。 この横堤は川島町に属している。 右岸:出丸第二横堤 - 樋詰橋へのアクセス道路。1932年(昭和7年)9月16日着工、1934年(昭和9年)2月9日竣工、完成延長961.80 m。 この位置の堤外地にハンノキ林がある。 右岸:出丸第一横堤1935年(昭和10年)12月1日着工、翌年9月30日竣工、完成延長417.80 m。 右岸:植木第二横堤 右岸:植木第一横堤 - 開平橋取付。 左岸:指扇第二横堤1951年(昭和26年)6月16日着工、同年9月30日竣工、完成延長610.50 m。 左岸:指扇第一横堤1951年(昭和26年)6月16日着工、同年9月30日竣工、完成延長504.90 m。 左岸:馬宮第三横堤 - 川越線荒川橋梁取付。1934年(昭和9年)8月25日着工、翌年3月30日竣工、完成延長560.80 m。 左岸:馬宮第二横堤1929年(昭和4年)11月13日着工、1934年(昭和9年)3月31日竣工、完成延長351.25 m。 左岸:馬宮第一横堤 - 治水橋取付。1929年(昭和4年)11月13日着工、1934年(昭和9年)3月31日竣工、完成延長842.75 m。工事の中断期間を有する。 かつてこの位置には水害防備林があった。 左岸:植水横堤1929年(昭和4年)11月13日着工、1934年(昭和9年)3月31日竣工、完成延長848.25 m。 左岸:大久保第三横堤1929年(昭和4年)11月13日着工、1934年(昭和9年)3月31日竣工、完成延長585.70 m。 かつてこの位置には水害防備林があった。 左岸:大久保第二横堤1929年(昭和4年)11月13日着工、1934年(昭和9年)3月31日竣工、完成延長503.75 m。 左岸:大久保第一横堤 - 羽根倉橋取付。1929年(昭和4年)11月13日着工、1934年(昭和9年)3月31日竣工、完成延長355.55 m。 右岸:南畑横堤 - 羽根倉橋取付。1929年(昭和4年)12月16日着工、1931年(昭和6年)1月31日竣工、完成延長371.25 m。 左岸:土合第二横堤1929年(昭和4年)11月13日着工、1934年(昭和9年)3月31日竣工、完成延長634.75 m。 右岸:宗岡第二横堤1929年(昭和4年)12月16日着工、1931年(昭和6年)1月31日竣工、完成延長510.55 m。 左岸:土合第一横堤 - 秋ヶ瀬橋取付。1929年(昭和4年)11月13日着工、1934年(昭和9年)3月31日竣工、完成延長584.05 m。 (右岸:宗岡第一横堤)1929年(昭和4年)12月16日着工、1931年(昭和6年)1月31日竣工、完成延長82.65 m。 秋ヶ瀬橋の位置に築造された。旧秋ヶ瀬橋の取り付け道路として利用されていたが、秋ヶ瀬橋の新橋架橋時に撤去され現存しない。堤内には旧秋ヶ瀬橋の取り付け道路が現存している。 左岸:美谷本第三横堤1929年(昭和4年)11月13日着工、1934年(昭和9年)3月31日竣工、完成延長428.30 m。 荒川彩湖公園の南側に現存しているが、先端部分は荒川第一調節池(彩湖)にかかるため削られている。さいたま市と戸田市の境界になっている。 左岸:美谷本第二横堤1929年(昭和4年)11月13日着工、1934年(昭和9年)3月31日竣工、完成延長612.25 m。 彩湖道満グリーンパークの北側に現存しているが、先端部分は彩湖にかかるため削られている。 (左岸:美谷本第一横堤)1929年(昭和4年)11月13日着工、1934年(昭和9年)3月31日竣工、完成延長963.75 m。 横堤下流側に荒川水循環センターが建設され外周が本堤と接続したため、横堤ではなくなった。1992年、元横堤上に幸魂大橋、戸田西ICが建築されている。
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