榊原勝政とは? わかりやすく解説

榊原勝政

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/19 14:50 UTC 版)

 
榊原勝政
時代 江戸時代前期
生誕 慶長18年(1613年
死没 寛文7年5月23日1667年6月14日
改名 香庵
別名 平十郎
墓所 台崇寺(岡山市
館林藩
氏族 榊原氏
父母 父:榊原康勝
勝直、政喬
テンプレートを表示

榊原 勝政(さかきばら かつまさ、慶長18年(1613年) - 寛文7年5月23日1667年6月14日)は、江戸時代前期の武士榊原康勝の庶子。平十郎。号は香庵。

生涯

館林藩主・榊原康勝の庶子として生まれたが、ほかに男子がなかったため、嫡男となるべく康勝の正室の古屋肥後熊本藩加藤清正の娘)に養われていた。その後の手続きを踏まえる前に、康勝は大坂の陣の直後の慶長20年(1615年)5月27日、26歳で死去した。当時、徳川幕府は勝政の存在を認識していなかったため、念のためにと相続者の存在を問い合わたが、榊原家家老(御付人)の中根吉衛門、原田権左衛門、村上弥右衛門の3名が、産まれたばかりの幼君では武功を立て難たく立身が望めないからと考え、康勝に嗣子なし、と回答した。このため榊原家の家督は徳川家康の直々の指示もあり、勝政の従兄に当たる大須賀忠次(こちらも当時10歳)が継承することになり、勝政の存在は宙に浮いた形となった。

なお、近年になって福田千鶴が、当時江戸幕府が大名の婚姻統制の強化を進めていたこと(康勝の死の直後に出された武家諸法度で明文化される)、康勝と古屋との婚姻が徳川家康直々の仲介によるものであったために、古屋以外の女性との間に男子を儲けた事実が発覚した場合、榊原家の存続に関わる事態に発展することを危惧したからであると推測している[1]

その後、養母の古屋が武蔵国岩槻藩の世子・阿部政澄に再婚することになり、その際に養っていた勝政の存在を幕府に報告した。こうして勝政の存在は幕府の知れるところとなった。勝政は、養母の実家の熊本藩主加藤忠広(養母の兄弟に相当する)の元に預けられることになった。しかし寛永9年(1632年)に忠広は改易となり、勝政は拠り所を失った。

加藤家の改易原因とは無関係であった勝政は、改易関連に連座することなく、康勝の子として幕府に召し出され、とりあえずの処遇として捨扶持1000俵を与えられた。いわゆる徳川四天王の一人である榊原康政の孫に相応しい、正式な処遇や加増の予定もあったとされる。しかし勝政は遁世して高野山に上り、剃髪した。後に堺や大坂に住んだ。

晩年、勝政の従兄である岡山藩池田光政の招きに応じ、岡山に移住した。寛文7年(1667年)5月23日岡山で死去、享年55。墓所は岡山市の台崇寺(廃寺となったが、今も墓は残る)。

子の勝直、政喬は池田家や榊原本家の運動により、父の死去の同年、幕府旗本となった。のちこの系統は2度にわたり本家に養子を出し、本家断絶の危機を救っている。

脚注

  1. ^ 福田千鶴「一夫一妻制の原則と世襲制」『近代武家社会の奥向構造 江戸城・大名武家屋敷の女性と職制』吉川弘文館、2018年5月25日、56頁。ISBN 978-4-642-03488-3。初出:『歴史評論』747号(2012年)。



榊原勝政

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/05 04:21 UTC 版)

本浄院」の記事における「榊原勝政」の解説

十郎(勝政)は榊原康勝庶子であったが、子のない本浄院養育されていた。 阿部政澄再婚する際、それまで手元養っていた平十郎連れて行くわけにもいかず、平十郎存在幕府届け出た康勝死去時に未だ幼かった1歳前後)平十郎は、榊原家家臣らの策略により、その存在隠匿されており、幕府は全く把握していなかったが(詳しくは榊原勝政、ないしは康勝の項目参照)、明らかになったことにより幕府榊原家家老三名流罪とし、勝政は当面として叔父肥後熊本藩主加藤忠広の下に預けられたが、勝政19歳の頃、加藤氏改易となった。再び拠り所を失くした勝政はしかし加藤氏改易連座することなく幕府より捨扶持1000俵を与えられる。これは加藤氏親族であるよりも、榊原家の裔である、という事重視された為であると推測される。 しかし勝政は厭世し、高野山上り剃髪した。後に堺や大坂住み晩年従兄備前岡山藩藩主池田光政の下で55歳死去するまで暮らした。勝政の子孫は榊原氏分家として、幕府直参大身旗本家として存続した。 当初より平十郎存在幕府正式に届けられていた場合、榊原勝政は康勝嫡子として榊原本家相続し養母である本浄院藩主母親として榊原家留まることになったかもしれない

※この「榊原勝政」の解説は、「本浄院」の解説の一部です。
「榊原勝政」を含む「本浄院」の記事については、「本浄院」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「榊原勝政」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「榊原勝政」の関連用語

榊原勝政のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



榊原勝政のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの榊原勝政 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの本浄院 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS