極真空手とは? わかりやすく解説

極真会館

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/03 13:48 UTC 版)

極真会館(きょくしんかいかん、: Kyokushinkaikan)は、大山倍達が創設した空手道団体。正式名称は国際空手道連盟 極真会館(こくさいからてどうれんめい きょくしんかいかん、: International Karate Organization Kyokushinkaikan, IKO or IKOK)。通称は極真カラテ。前身は大山道場


  1. ^ a b c 第1回全日本選手権から第6回まで連続出場し、第6回全日本選手権で4位に入賞した。現在は国際武道連盟・極真空手 清武会の師範である。
  2. ^ 総本部所属。第20回全日本選手権準優勝・第8回全日本ウエイト制重量級3位・第5回全世界選手権6位。身長175センチメートル、体重90キログラム。サウスポーからの下突きと鎖骨を狙う正拳突き・前蹴り・マサカリキックと呼ばれた外回し蹴りを得意とした。
  3. ^ 身長191センチメートル・体重100キログラム。北海道支部所属で高木薫の一番弟子。1983年1984年北海道選手権優勝。第1回オープントーナメント全日本ウエイト制重量級3位・第4回全世界選手権ベスト16・1990年アジア選手権3位・第22回全日本選手権4位・第5回全世界選手権代表。長身を生かした上段回し蹴り、かかと落とし膝蹴りを得意とした。現在は新極真会北海道支部外舘道場師範である。
  4. ^ 試割り用の杉板は、当時の新聞「日刊観光」では2.4センチメートルとあるが、「日刊スポーツ」では2.8センチメートルと表記されている。
  5. ^ 親指を起こして、反対の小指の根元からかかとにかけての足の外側部分。組手時には横蹴りで使用される。
  6. ^ オーストラリア支部長。ハワード・コリンズと同時期に数か月間、本部道場の内弟子となり、修行していた。現在は極真会館 松島派に所属している。
  7. ^ 当時の極真会館全米選手権のチャンピオンであり、第1回全世界選手権では最強の外国人選手と云われた。黒人特有のバネを生かしたヒット・アンド・アウェイの戦法で、突き・蹴りとバランス良く攻撃してきた。3回戦ではイスラエルの100キログラムで柔道参段でもあるギドン・ギダリーを上段後ろ回し蹴りで一本勝ち。4回戦では若きテクニシャンの東谷巧を破り、破竹の勢いで勝ちあがってきた。準々決勝盧山初雄と対戦し、延長1回で判定負けしたが、7位入賞した。現在は誠道塾師範を務めている。
  8. ^ 1971年7月2日生まれ。カナダモントリオール出身。1990年1991年カナダ大会優勝。この時点でキャリア5年だが、同年の第5回オープントーナメント全世界空手道選手権大会のカナダ代表として出場。身長188センチメートル・体重128キログラムの巨漢でありながら、軽快なフットワークとサウスポーからの突き、上中下段回し蹴りで一本勝ちを奪い、勝ち上がっていった。特に岩崎達也との対戦では、岩崎の右上段後ろ回し蹴りに対して、カウンターの左上段後ろ回し蹴りで一本勝ちを奪った。その瞬間、会場が一瞬シーンとなり、大歓声が沸くほどの見事な勝利だった。準決勝では増田章と対戦。増田の左上段回し蹴りや右後ろ回し蹴りを顔面にヒットされたり、右中段回し蹴りで脇腹に攻撃を受け、正拳突きを鳩尾(みぞおち)に決められ、下を向いて動きが止まるなど自分のペースで試合できなかったが、延長2回まで粘り、惜敗した。3位決定戦では黒澤浩樹に破れ、4位入賞を果たした。その後、1992年米国国際スーパーヘビー級優勝・1994年米国国際優勝の成績を収めた。分裂騒動が起きた時には、政治的問題に巻き込まれないように極真会館を脱会する。その後、キックボクシングに転向、国際大山空手道連盟に所属し、バーリ・トゥードにも参加したり、K-1へ参戦したりした。
  9. ^ 後に『現代カラテ』→『現代カラテマガジン』と誌名が変わり、真樹日佐夫が編集長になった。
  1. ^ 月刊フルコンタクトKARATE別冊 - 大山倍達と極真の強者たち』 福昌堂1995年、57頁。
  2. ^ a b c 高木薫 『わが師大山倍達』 徳間書店1990年、16 - 17頁、54 - 62頁。
  3. ^ a b 「第2章 - 再検証極真ジム」『極真外伝〜極真空手もう一つの闘い〜』 ぴいぷる社、1999年、76 - 91頁、93頁、101頁、104頁、108頁。
  4. ^ a b ゴング格闘技』 日本スポーツ出版社、3月8日号、1996年、52 - 53頁。
  5. ^ a b c 『新・極真カラテ強豪100人(ゴング格闘技1月号増刊)』 日本スポーツ出版社、1997年、72頁、78 - 79頁、85頁、105頁、114 - 119頁、150 - 151頁、164 - 165頁。
  6. ^ 「<マラソン座談会> 数々の秘話とエピソードで綴る全日本強豪伝 第1回~第11回大会編 『第1回~第2回 山崎、添野、長谷川の三羽烏時代』」『現代カラテマガジン』、真樹プロダクション、1980年10月。 
  7. ^ a b c d 判定・試し割り」『第5回オープントーナメント全日本空手道選手権大会プログラム』、財団法人極真奨学会・極真会館、1973年。 
  8. ^ a b c d 「◆技ありの導入」、52頁。
  9. ^ a b c d 「テレビ放映開始」、50頁。
  10. ^ a b c 「ゴング格闘技12月6日号増刊」『極真カラテ強豪100人 - BATTLE SERIES Vol.9』 日本スポーツ出版社、1994年、45頁、123頁、125頁。
  11. ^ 小宮極次郎「あわや外国人が全日本王者に? ◆試割りについて」『フルコンタクトKARATEマガジン』第8巻、武道ユニオン、〒1740063 板橋区前野町2-31-9、2016年11月1日、69頁。 
  12. ^ 「極真の歴史 最強の奔流」『極真カラテ総鑑』(初版)株式会社I.K.O. 出版事務局(原著2001年4月20日)、57, 60頁頁。ISBN 4816412506 
  13. ^ a b 「ヨルダン王室の愛弟子達来たる フセイン国王王妃一行極真会館を御訪問」『現代カラテ』第15巻第52号、1970年8月。 
  14. ^ 極真館吉川支部の鈴木浩平極真館吉川支部→思い出の写真 →昭和47年(1972)スペイン皇太子来日 - 迎賓館
  15. ^ 佐藤勝昭 『王道の空手』 講談社1987年、245 - 248頁。
  16. ^ 『新・極真カラテ強豪100人(ゴング格闘技1月号増刊)』 日本スポーツ出版社、1997年、114頁、150 - 151頁。
  17. ^ a b c 「特集●郷田勇三 - 空手行路四十年」『格闘Kマガジン』 ぴいぷる社、3月号、2001年、12頁。
  18. ^ 「国際空手道連盟極真会館 - 年度別昇段登録簿 - 国内」『極真カラテ総鑑』 株式会社I.K.O.出版事務局、2001年、62頁。
  19. ^ 「協議会派から緑派へ」、170-171頁。
  20. ^ 「緑派の分裂と連合会発足」、187-190頁。
  21. ^ 「新極真会?」、182頁。
  22. ^ 「新極真会?」、184-186頁。
  23. ^ ルック・ホランダー; Antonio Pinero (2010年8月13日). “News” (英語). 2010年9月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月23日閲覧。
  24. ^ 中村誠支部長辞任に関する文書 - 平成28年(2016年)12月4日
  25. ^ a b ”100人組手&世界王者”八巻健志が20年ぶり極真に復帰「実戦で使える本物の空手を」」『イーファイト』、2022年11月3日。2022年12月19日閲覧。
  26. ^ 【極真会館】元世界王者でK-1でも活躍したフィリォとグラウベが除名処分に」『イーファイト』、2022年12月11日。2022年12月19日閲覧。
  27. ^ 商標無効で再審開始決定 「極真会館」使い空手道場
  28. ^ a b 極真会館商標の過去から現在について
  29. ^ 極真関連の商標権について
  30. ^ 極真会館について
  31. ^ 極真会館支部長連合会設立のご報告
  32. ^ (一社)極真会館支部長会が始動



極真空手

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竹山晴友」の記事における「極真空手」の解説

20歳時に上京し極真会館総本部内弟子若獅子寮)となる。1980年東京体育館開催され第12回オープントーナメント全日本空手道選手権大会茶帯初出場し7位入賞1981年第13回全日本選手権7位、1982年第14回全日本選手権5位、1983年第15回全日本選手権3位順位上げた。2ヵ月後の翌1984年1月第3回オープントーナメント全世界空手道選手権大会出場優勝候補一人挙げられた「人間風車」の異名を持つ身長197センチメートル体重98キログラム南アフリカのケニー・ウーテンボガードと対戦し延長4回に及び死闘の末、惜敗した。同年秋に開催され第16回全日本空手道選手権決勝黒澤浩樹対戦し延長の末敗れ準優勝。これがフルコンタクト空手最後試合となった

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極真空手

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エヴェルトン・テイシェイラ」の記事における「極真空手」の解説

9歳極真会館ブラジル支部入門1999年サンパウロ州大会で優勝2000年ブラジル選抜大会重量級優勝2001年6月10日、『2001全世界ウェイト制空手道選手大会重量級出場2001年9月22日、『アメリカズカップ2001』の決勝田中健太郎降し優勝2002年3月23日、『パリ国際大会2002』の決勝セルゲイ・オシポフの上回し蹴り敗れ準優勝2002年6月29日、『オールアメリカンオープン2002』(アメリカズカップより改称)の決勝レチ・クルバノフ降し2連覇2003年2月22日、『一撃』のカラテマッチで加藤達哉と対戦し判定勝ち。 2003年6月21日、『オールアメリカンオープン2003』の決勝セルゲイ・オシポフ降し3連覇2003年11月1日 - 3日、『第8回全世界空手道選手権大会』の準決勝木山仁敗退3位決定戦グラウベ・フェイトーザ降し3位入賞2004年5月30日、『一撃』のカラテマッチでピーター・マエストロビッチ対戦し判定勝ち。 2004年6月19日、『オールアメリカンオープン2004』の決勝でエドゥアルド・タナカを降し、4連覇2005年5月1日、『第3回全世界ウェイト制空手道選手大会重量級準決勝アレキサンダー・ピチュクノフ降し決勝ではレチ・クルバノフを再延長判定降し優勝2006年9月23日、『オールアメリカンオープン2006』の決勝アンドリュース・ナカハラ対戦反則減点を受けるなどして判定負け準優勝となった2007年6月23日、『オールアメリカンオープン2007』の決勝では昨年と同じ顔合わせとなったアンドリュース・ナカハラ判定勝ち、優勝2007年11月16日 - 18日、『第9回全世界空手道選手権大会』の決勝ヤン・ソウクップ一本勝ち優勝外国人選手としては2人目の世界選手権王者となった2011年11月4日 - 11月6日、『第10回全世界空手道選手権大会』の決勝タリエル・ニコラシビリ判定負けし、準優勝

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極真空手

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世界選手権大会」の記事における「極真空手」の解説

全世界空手道選手権大会各派閥で全世界選手権個々開催されている。)

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極真空手

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長嶋一茂」の記事における「極真空手」の解説

プロ野球引退した翌年1997年極真会館東京城西世田谷東支部)に入門し黒帯取得した1999年3月数見肇百人組手40人目対戦者を務めたこともある。その経験から、フジテレビのK-1中継司会務めていた。 2018年11月、極真空手の公式大会、「全関東空手道選手大会」に出場し50歳以上+80キロ上の部で優勝した2019年4月20日、極真空手の国際親善空手道選手大会に「50歳以上、80キロ超級」の階級出場し銅メダル獲得した2021年7月25日、極真空手の東日本空手道選手大会に「50歳以上+80kg級」で出場し金メダル獲得した

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