森林軌道とは? わかりやすく解説

森林軌道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 23:52 UTC 版)

安曇村」の記事における「森林軌道」の解説

1960年代まで全て廃止されている。

※この「森林軌道」の解説は、「安曇村」の解説の一部です。
「森林軌道」を含む「安曇村」の記事については、「安曇村」の概要を参照ください。


森林軌道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 04:22 UTC 版)

京都大学フィールド科学教育研究センター森林ステーション芦生研究林」の記事における「森林軌道」の解説

研究には後述通り由良川源流沿いに森林軌道が設置されている。日本の大学研究演習林)で森林鉄道設置されたのは、奥秩父山中にある東京大学秩父演習林内に設置され東京大学演習林軌道の他に例を見ない演習林開設以前、この地域には道らしい道が整備されていなかったことから、演習林開設同時に林道整備開始した主要な林道はなるべく自動車通行可能なように整備されたが、止むを得ない場所について軌道整備されることとなり、演習林事務所から由良川源流沿って中山に至る区間軌道敷設することが計画された。工事1927年事務所から大蓬までの軌道敷開削工事完成、翌1928年には七瀬まで完成した当初完成したのは路盤だけであったが、軌道敷設工事行われ1934年には事務所 - 赤崎間にレール敷設1936年には大蓬まで延伸された。敷設され軌道軌間は762mmで、レール重さは6kgないし4kg、枕木伐採され材やブナ材に腐食防止用のクレオソート油塗ったものを使用した。しかし、当初計画区間のうち七瀬 - 中山間については路盤工事行われず歩道として整備されるとどまったその後太平洋戦争が始まると林産資源確保のために小野子谷への軌道延伸計画され1942年由良川を渡る完成1943年には小野子東谷にあった作業所まで軌道延伸が行われ、七瀬までの本線区間本谷軌道呼ばれたに対して小野子軌道名づけられた。1944年には小野子軌道途中から分離して小野子西谷遡上する区間延伸されたが、この区間は仮軌道とは言いながら線路内務省由良川堰堤工事事務所から借用したものを使用するなど、路盤線路も本軌道より高規格のものが使用された。また、小野子軌道にはループ線があったという話が残っている。 完成した軌道伐採され材木製造され木炭栽培されしいたけ搬出使用されたほか、沿線設けられ作業所苗畑への通勤資材搬入にも使用された。また、灰野の住民への米やみそ・しょうゆといった生活物資運搬にも使用された。小野子軌道からは主としてブナ材が搬出され、多くプロペラブレード羽根)に加工された。 戦後1947年には小野子西軌道撤去されレール元通り直線延ばされ内務省由良川堰堤工事事務所返却された。1949年7月来襲したヘスター台風によって、森林軌道を全線渡って大きな被害を受け、中でも小野子軌道は全区間埋没流出してその後復旧することはなかった。一方本谷軌道については流出した由良川橋梁復旧が行われたほか、1950年には軌道敷設区間野田谷まで延伸された。先に路盤完成していた七瀬まであと少しの距離であったが、ついに七瀬までレール延びことはなかった。 1950年代以降大規模伐採時代には、赤崎西谷赤崎東谷引込み線設けられ伐採され材木搬出活用されていたが、1960年代中期沿線での伐採事業終了すると森林軌道の利用価値低下沿線苗畑作業所への通勤資材搬入使われる程度となった。それも1975年前後終了すると、使用頻度がさらに低下1980年代以降になると施設の老朽化進んだことから、灰野より奥へ運転されることはなくなった。一方残された灰野までの区間については、この区間道路がないことから、今後軌道使用するため、1973年にたびたび水害流されてきた由良川橋梁鉄筋コンクリート製の架け替えたほか、枕木一部コンクリート製のものにするなど軌道整備が行われた。整備区間年々奥へと延伸され、1993年には灰野鋼鉄製の桁橋架け替えられたことにより、整備区間が灰野の先まで延伸された。最近では由良川橋梁に、歩行者転落防止のために手すり取り付けられている。 車両東京大学演習林軌道大規模な伐採事業行っていたことから本格的なガソリン機関車ディーゼル機関車所有していたのに対し、当研究では、当初トロッコ人力馬力押し上げ下りブレーキ操作しつつ滑走していた。その後機関車導入して作業効率化図ったが、機関車といってトロッコ台枠農業用エンジン搭載しその上に簡単な屋根乗せただけのものだったので、屋台機関車呼ばれていた。機関車以外にもトロッコ台枠ミゼットエンジン搭載した自走式人車もあり、こちらは林内巡視などに使用されていた。また、大規模伐採時期には業者機関車トロッコ持ち込んで使用していたが、こちらの実態については不明である。 現在の森林軌道は林内巡視などのために灰野までの区間極めて不定期ながら運行されている。灰野から先は落石倒木、あるいは赤崎の大Ωループ橋のように朽ち果てて倒壊した木橋などが連続しており、軌道復活はおろか歩行も困難を要するまた、国土地理院1/25,000地形図「中」では1979年修正1981年5月発行版まで「特殊軌道」の記号表されいたものが、1991年修正1992年5月発行版では「徒歩道」の記号表されている。

※この「森林軌道」の解説は、「京都大学フィールド科学教育研究センター森林ステーション芦生研究林」の解説の一部です。
「森林軌道」を含む「京都大学フィールド科学教育研究センター森林ステーション芦生研究林」の記事については、「京都大学フィールド科学教育研究センター森林ステーション芦生研究林」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「森林軌道」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「森林軌道」の関連用語

森林軌道のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



森林軌道のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの安曇村 (改訂履歴)、京都大学フィールド科学教育研究センター森林ステーション芦生研究林 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS