森喜朗首相(もりよしろうしゅしょう)
石川県出身の政治家である。祖父の喜平氏・父の茂喜氏は、共に石川県根上町で町長を務めた。森喜朗氏自身は大学卒業後、日本工業新聞記者、愛媛県の今松治郎衆議院議員の秘書を経て、1969年に石川一区から出馬して32歳で衆議院に初当選した。
自民党内では故福田赳夫氏が率いる福田派に所属し、政策面では、文教委員会に所属するなど文教族としてキャリアを積みた。1983年には第二次中曽根内閣で文部大臣として初入閣した。
1999年9月、小渕・加藤・山崎の三氏で争われた自民党総裁選では「滅私奉公」と早々と小渕氏支持を表明し、小渕氏再選の足がかりをつけた。これが今回小渕氏が倒れた後に青木官房長官・野中幹事長代理らからの首相指名に結びつきた。
ちなみに森喜朗氏は故小渕首相、青木官房長官とは早大雄弁会では先輩・後輩の間柄である。海部元首相や渡辺恒三衆議院議長など、早大雄弁会からは多くの政治家が出ている。同会では故小渕首相は二年後輩で青木官房長官は一年先輩だった。
「神の国」発言や「国体」発言、総理番記者への対応など、何かと物議をかもしている森首相であるが、現在は自民・公明・保守3党が連立した第2次森内閣の運営にあたっている。
(2000.06.06更新)
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