柳川の堀割とは? わかりやすく解説

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柳川の堀割

柳川の堀割
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柳川の堀割
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柳川の堀割
柳川の堀割 疏水概要
疏水所在
福岡県柳川市

所在地域の概要
福岡県南部有明海面した柳川市市内縦横めぐっている掘割を持つ。

疏水概要・特徴
———昭和60年8月より市報やながわ」に連載の「水の歴史探訪抜粋———  
福岡県南部有明海面した柳川市市内縦横めぐっている掘割を持つ。
この掘割は昔から町の基盤をなし、農業用水市民生活用水として重要な役割果たしてきた。潮の干満の差が6メートルある有明海はそこに注ぐ河川河口広大な低湿地作りました。この低湿地に人が住み始めたのは弥生時代といわれています。まず土地高い場所周り掘り土盛りをして、住居耕地しました。このあたりは干潮地帯なので川の水利用できず、掘った部分たまった雨水農耕利用しました。堀にたまった汚泥客土として田の肥料となりました低湿地耕地となるために掘割必要不可欠でした。古代の「条里制」の後も見られます。 現在市の中心部をめぐる掘割は、戦国時代蒲池氏立花氏経て1600年田中吉政公時代にその水利体系整いました。吉政公は、領内繁栄させるために豊富な土木技術経験生かし海岸堤防築造着手し有明海沿岸開田行いましたまた、筑後川矢部川沿岸新田開発積極的に進めながら一方では、筑後川矢部川沖端川大改修や、花宗川山ノ井川分水工事用水路開削、堰の築造などの治水利水工事大々的行いました。さらに大城郭の建設にもとりかかり柳川城本丸五層の八ッ棟造り天守閣築いて新しく幾重にも城濠を巡らし沖端川西方に付け替えました。  
これらの掘割水路は、城下生命線として、また近世以降次々と進められ干拓地住民の生活支えるなど重要な役割果たしきました。  
城濠から下流地区農業用水等を引く取水門は、その規模大小用途によって、それぞれ異なった形態をしています。流れ通し」「乗越堰」などこの地方独特の堰がまだ残ってます。  
このようにして先人たちは風土悪条件闘い共生して低湿地沃野変えるための気の遠くなるような長い時間をかけて作業行い掘割形成してきました。この掘割柳川地方自然と風土をなし、人々の生活活動文化をもはぐくんできました。そのため先人たちは、いつの時代でも掘割感謝しそれを守るため今から考えると、わずらわしいほどの付き合いをしてきました。  
ところが、戦後しばらくすると掘割荒廃進み掘割一転して生活環境阻害するようになりました。そこで、市では昭和52年から住民参加河川浄化運動着手し掘割との付き合い再開しましたその結果柳川水郷の町として、年間100万人の観光客訪れてます。


くわしい情報
柳川の堀割
http://www.city.yanagawa.fukuoka.jp/
柳川の堀割
http://www.yanagawa-net.com/
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