松阪猛
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松阪 猛(まつざか たけし、1939年12月20日 - 2014年10月22日)は日本の柔道家(講道館9段)。現役時代の階級は中量級および重量級。
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注釈
- ^ 松阪と岡野は当大会3度目の対戦であり、1度目は2次リーグで引き分け、2度目は2次リーグの1位・2位決定戦で岡野が勝利していた。当時の大会試合方式は現在とは異なり、初日の1次リーグ戦と、2日目の2次リーグ戦(1次リーグ勝者8名によるリーグ戦)およびトーナメント戦(2次リーグ上位2名によるトーナメント戦)となっていた。このため、同じ顔触れで2度3度と対戦する事や、1度敗れた者が勝ち上がって優勝する事も可能であった[2]。
- ^ この時代は中量級や軽重量級選手が全日本で上位に食い込むのはさほど珍しい事ではなく、松阪の他にも1967・69年優勝の岡野功(体重80kg)や1972年優勝の関根忍(体重80kg)、1974年優勝の佐藤宣践(体重90kg)らの活躍が目立つ。松阪曰く、「大きい選手と試合をするより、古賀武さんや岩田兵衛さんら自分より小柄な選手との試合の方が激しくてずっと怖かった」との事[3]。
- ^ のちに夫人との間には1男1女を儲ける。うち長女は、1991年世界選手権出場の賀持道明と結婚した[2]。
出典
- ^ a b “講道館創立130周年記念 九段昇段者および新九段のことば”. 機関誌「柔道」(2012年6月号)、13頁 (財団法人講道館). (2012年7月1日)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 昆田峯三 (2015年2月1日). “故 松阪猛九段のご逝去を悼む”. 機関誌「柔道」(2015年2月号)、37-38頁 (財団法人講道館)
- ^ a b c d “シリーズ歴代優勝者に聞く!(2) 昭和43年優勝 松阪猛”. 激闘の轍 -全日本柔道選手権大会60年の歩み-、12-13頁 (財団法人講道館・財団法人全日本柔道連盟). (2009年4月29日)
- ^ 「激動の昭和スポーツ史16 柔道 青葉号」 ベースボール・マガジン社、1989年発行 62頁
- ^ “松坂猛、岡野功との3度の激闘の末に初優勝”. 激闘の轍 -全日本柔道選手権大会60年の歩み-、64-65頁 (財団法人講道館・財団法人全日本柔道連盟). (2009年4月29日)
- ^ 柔道家の松阪猛さん死去 著名人の葬儀 2014年10月24日
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