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松平輝高

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/12/01 18:12 UTC 版)

松平 輝高(まつだいら てるたか、享保10年8月29日1725年10月5日) - 天明元年9月25日1781年11月10日))は、江戸時代上野国高崎藩主。寺社奉行大坂城代京都所司代老中を歴任。高崎藩大河内松平家4代。

経歴

高崎藩初代藩主・松平輝規の長男。官位は佐渡守、因幡守、右京亮、最終官位は従四位下侍従・右京大夫。正室は松平信祝の娘。子に松平輝行(長男)、松平輝和(次男)、松平輝延(三男)、娘(柳沢保光正室)ら。長男・輝行が早世したため、次男・輝和が家督を相続した。

生涯

所司代在任中、竹内敬持を逮捕した(明和事件宝暦事件)。同年老中にのぼり、安永8年(1779年)、松平武元死去に伴い老中首座となり勝手掛も兼ねる。天明元年(1781年)、輝高が総指揮をとり、上州の特産物である絹織物や生糸に課税を試み、7月、これを発表したところ、西上州を中心とする農民が反対一揆・打ちこわしを起こし、居城高崎城を攻撃するという前代未聞の事態に発展した(絹一揆)。幕府は課税を撤回したが、輝高はこの後、気鬱の病になり、将軍家治に辞意を明言するも慰留され、結局老中在任のまま死去した。これ以降、老中首座が勝手掛を兼務するという慣例が崩れることになる。

官位・役職








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