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とうしゅうさいしゃらく とうしうさい― 【東洲斎写楽】
江戸人物事典 |
東洲斎 写楽 (とうしゅうさい しゃらく)
| ?〜 (??年〜??年) |
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【浮世絵師】 1年足らずの期間で、140点にものぼる傑作を描いた、謎の天才浮世絵画家。 |
| 浮世絵師。生没年、生まれ一切不明。江戸に住み、1794年から翌年にかけてわずか10か月に、約140点の錦絵を制作した。絵は極めて個性的で、江戸三座の役者絵と相撲取大童山に限定されており、版元はすべて蔦屋重三郎。短期間に作品を残した後、消えるように制作活動を停止した。94年の夏狂言を取材した作品は特に高い評価を受けている。 |
年(和暦) |
人物名 |
近代文学作品名辞典 |
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東洲斎写楽
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/03 02:47 UTC 版)
東洲斎 写楽(とうしゅうさい しゃらく、旧字体:東洲齋 寫樂、生没年不詳)は、江戸時代中期の浮世絵師。
- ^ 長い間、この図の役名は「大谷鬼次の奴江戸兵衛」とされていた。しかし、当時のどの番付記録にも「奴」は付いておらず、ただ「江戸兵衛」と記されている。また、この場合の奴は武家の奴僕という意味であるが、現存する台帳を見ると江戸兵衛は非人(盗賊、乞食)達の頭で、武家の下僕なら剃らねばならい月代も残っている事から「奴」はないと考えられる(初出:浅野秀剛 『日本史リブレット51 錦絵を読む』 山川出版社、2002年、55頁、ISBN 978-4-634-54510-6)
- ^ ただし、役者版下絵は4点が行方不明、相撲版下絵は9点が大正期に焼失している。そのため現在確認されている写楽の役者版下絵は、ギメ東洋美術館2点、ボストン美術館2点[1][2]、シカゴ美術館1点[3]の計5点(ギメ所蔵の2点のみ「写楽画」の落款あり)、相撲版下絵は個人蔵の1点のみである(『ギメ東洋美術館所蔵浮世絵名品展』図録 211頁、浮世絵太田記念美術館・大阪市立美術館、2007年)。
- ^ クルトは写楽が歌舞妓堂艶鏡に改名したと考えていた。
- ^ 井上和雄『写楽』昭和15年に「又能油画号有隣」の引用あり。出典は大草公弼『異本浮世類考』
- ^ 『写楽実は俳人谷素外』(『読売新聞』昭和44年10月16日号、日本浮世絵博物館館長・酒井藤吉)
- ^ 法光寺は平成5年に越谷へ移転したが、それまでは築地にあった。
- ^ 松木寛 「写楽の謎と鍵」『浮世絵八華4 写楽』所収 平凡社、1985年 ISBN 4-582-66204-8
- ^ 「扇面お多福図」シカゴ美術館蔵など。
- ^ 小林忠 『江戸の浮世絵』428-432頁、藝華書院、2009年 ISBN 978-4-9904055-1-9。同著 「東洲斎写楽の肉筆扇面画」『国華』1364号所収、国華社、2009年6月。
- ^ 画中右側に初代豊国の「二代目嵐雛助の帯屋長右衛門と三代目瀬川菊之丞のしなのやお半[4]」(東京国立博物館蔵)が描かれており、これは寛政12年(1800年)2月に市村座で上演された『楼門五三桐』の二番目大切『おはん/長右衛門 瀬川の仇浪』の場面[5]であることにより、本図が描かれたのもその頃と推定できる。
- ^ NHKスペシャル「浮世絵ミステリー 写楽〜天才絵師の正体を追う〜」
[続きの解説]
「東洲斎写楽」の続きの解説一覧
- 1 東洲斎写楽とは
- 2 東洲斎写楽の概要
- 3 写楽の正体
- 4 肉筆画
- 5 関連項目
- 6 外部リンク
固有名詞の分類
| 江戸時代の人物 |
孕石元政 三井高利 東洲斎写楽 高木仙右衛門 ヤコブ・クワッケルナック |
| 日本の画家 |
橋本シャーン 内藤杏圃 東洲斎写楽 一峯斎馬円 歌川芳綱 |
| 浮世絵師 |
鳥囀斎栄寿 栄波 東洲斎写楽 一峯斎馬円 歌川芳綱 |
| 美術家 |
H・R・ギーガー 中村英夫 東洲斎写楽 中村愼一 ジャン=バティスト・カミーユ・コロー |
| 19世紀の美術家 |
ウィリアム・アドルフ・ブグロー フランシスコ・デ・ゴヤ 東洲斎写楽 閑々子 ジャン=バティスト・カミーユ・コロー |
| 18世紀の美術家 |
ジャン・シメオン・シャルダン フランシスコ・デ・ゴヤ 東洲斎写楽 閑々子 ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ |
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