とうえい‐うずまさえいがむら〔‐うづまさエイグワむら〕【東映太秦映画村】
東映太秦映画村
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東映太秦映画村(とうえいうずまさえいがむら)は、京都市右京区太秦東蜂岡町にある映画のテーマパーク[1][4][注釈 1]。日本のテーマパークの先駆けともいわれる[5][6][7][8][9]。
注釈
出典
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- ^ 東映太秦映画村 × 映画「カツベン!」ロケ地マップを Strolyで公開しました
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- ^ 東映太秦映画村全面リニューアルを発表,東映株式会社,2023年12月8日
- ^ 東映、京都の太秦映画村を全面刷新 インバウンド客に照準,日本経済新聞,2023年11月25日
- ^ 京都・東映太秦映画村が大規模リニューアル - “江戸の町並み”再現セットが刷新、アトラクションも,ファッションプレス,2023年11月29日
- ^ “太秦映画村、リニューアル第1弾をオープン”. 観光経済新聞. (2011年9月24日)
- ^ 総計20万点以上の映画関係資料を所蔵する「東映太秦映画村・映画図書室」が2020年7月1日にオープン|カレントアウェアネス・ポータル 2022年5月22日閲覧。
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- ^ ミス映画村
- ^ 「美空ひばり座」オープン!京都太秦に“引っ越し”
- ^ 映画村案内マップ - 太秦映画村公式サイト
- ^ キャラっと@HAPPY かちん太(東映太秦映画村)、京都新聞。(2007年4月16日付夕刊掲載)
東映太秦映画村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 15:37 UTC 版)
アニメ第2期の放送終了に合わせ、2015年4月1日から5月10日までの予定でオリジナルグッズ販売、原画展示、フォトスポットなどが開催されていた。
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東映太秦映画村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 05:50 UTC 版)
1975年に開村した東映太秦映画村は、任侠ものが下火になって次代への転換が厳しく迫られていた1972年頃、会議の雑談の中で「台湾の撮影所が現場を有料で一般公開し、大成功している、京都でもその辺の事を真剣に考えたらどうだ」という岡田の話から計画がスタートしたもの。高岩淡は「撮影所を一般に開放して、撮影風景を見てもらってはどうでしょう」と岡田に提案したところ、岡田は「そんな裏側を見せるもんやない。それに、観客がぎょうさん来たりしたら、監督も役者もやりにくくてかなわんで」と言ったが、しつこく食い下がったら「そんなに言うなら、一日だけやってみい」と言われ実行したら、観客が押し寄せ大盛況で、これに岡田が納得した結果、東映太秦映画村がオープンしたと述べているが、岡田は著書で「ユニバーサル・スタジオ同様、日本でもこうした施設を作れば受けるはずだと考えた。その前から撮影所を見学したいという要望が多く寄せられていて、見学には案内人も必要だし、その経費もばかにならない。映画村は商売になると踏んだ」と映画村構想は自身の発案だったと書いている。この案を高岩に話したら高岩は乗り気だったという。
※この「東映太秦映画村」の解説は、「岡田茂 (東映)」の解説の一部です。
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