東恩流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/18 13:04 UTC 版)
東恩流(とうおんりゅう)[1][2]は、空手の流派の一つ。開祖は許田重発。
- ^ 商標登録(第6021299号)の2018年2月(もしくは商標申請の2017年6月)されています。 しかし、商標登録以前から東恩流を名乗り活動していた者には先使用権が認められる。
- ^ 2019年時点で発行中の総合空手マガジン「新・空手道」において村上勝美は「空手小説 かきだみし」を連載中。自身の紹介で「沖縄小林流空手道範士九段」の他に「沖縄東恩流空手道師範」とも記載している。これは村上が許田重発から師範を認められていて、商標登録以前から東恩流師範として活動し東恩流という名称の先使用権を持つからである。
- ^ 流祖 許田重発、二代宗家 許田重光、三代宗家 神崎重和
- ^ a b 『源流・沖縄空手』福昌堂、2007年
- ^ 指導にあたり流派名を登録する必要があり、三男の許田重光と神崎和也は和光流と自分達の名前から一文字ずつ取る事を提案したが、許田は自らの空手を東恩納寛量の空手、東恩納流ならば名乗っても良いとの考えであった。このため略称として東恩流の名称で登録することになったが、正式には東恩納流である。許田は師範学校卒であったことから無流派主義、無修正主義であり、王統流を名乗った玉得博康と同じく登録の必要性という理由で流派を名乗ったと考えられる。
- ^ 許田は小学校を定年退職後、1944年に滋賀県の近江絹糸会社に徴用された沖縄の学徒動員生徒の指導教官として勤務、戦争の激化に伴い家族とも大分県竹田市に疎開
- ^ 許田重発が知らなかったのではなく採用しなかったという説もある。許田は東恩納寛量のセーサンも習得していたが伝えていない。この事からも寛量伝の型も知ってはいたが剛柔流や糸東流と型が重複するのを避けたと考えられる。
- ^ 現在、福岡県では芳野重正の士道会、バンクーバーではマリオマッケンナの光和館(2006ー)、大阪府では東恩会(2015~)、東京都では幸栄館(大西栄三会長が昭和32年許田重発に入門、無流派主義である)、福岡県では村上勝美の小林館(許田に入門して沖縄東恩流師範を名乗っている)で伝承されている。
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