東尾修とは? わかりやすく解説

ひがしお‐おさむ〔ひがしををさむ〕【東尾修】


東尾修

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/20 05:04 UTC 版)

東尾 修(ひがしお おさむ、1950年5月18日 - )は、和歌山県有田郡吉備町(現:有田川町)出身の元プロ野球選手投手)、監督野球解説者タレント日本プロ野球名球会理事を務める。


注釈

  1. ^ 1975年オフにも同様の申し出があったが反対され、当時チームで球速の速かった加藤初投手を獲得した。ベースボールマガジン社『プロ野球トレード図鑑1936-2001』より
  2. ^ オリックス戦以外の成績は62勝36敗6分で、西武との直接対決を除いたオリックスの61勝42敗1分を上回っていた。
  3. ^ ちなみに、1998年のマルティネスは1人で30本塁打を打っていたが、1999年の外国人野手4人は合計で25本塁打であった。
  4. ^ なお東尾を指導した河村も、現役時代には内角攻めを得意としていた。
  5. ^ これは2016年現在のパリーグ記録である。
  6. ^ ダイエーは2001年、既に外国人投手枠が埋まっていたのにもかかわらず、西武対策として左投手のクリス・ヘイニーを獲得した。
  7. ^ 文化放送「くにまるジャパン」のワンコーナー「おきらく野村係長」には、これに因んだ『ヒガシオ・オサムさん』というキャラクターが存在する(「オヨヨ、オヨヨヨヨ」としか喋っていないが、高橋将市アナにはその意味が通じているというキャラ)。
  8. ^ 当時のテレビ朝日は専属解説者にキャッチフレーズを付けることが慣例になっており、ほかにも「ノムさんのクール解説」、「四郎のホット解説」、「若松のジャスト解説」、「大下のワイド解説」「ミスター三冠王・オレ流解説」などがあった。

出典

  1. ^ 日本野球機構 |歴代最高記録 与死球 【通算記録】
  2. ^ 『週刊ベースボール』ベースボール・マガジン社、2003年2月17日、153頁。 
  3. ^ 「私の真実―わが悔いなき野球人生」p.29 - 33
  4. ^ 『江川になれなかった男たち』p.115-116
  5. ^ 野村克也さんについてどう思いますか?と東尾さんに聞いてみたら…… - YouTube
  6. ^ 黒い霧事件と東尾修 -元・名物番記者が語るプロ野球ちょっと裏話-
  7. ^ 東尾修(野球解説者)<後編>「運命のように切り開かれた大投手への道」
  8. ^ 「あの時、君は若かった」ルーキー秘話『Sports Graphic Number』2011年3月24日号、文藝春秋、2011年、雑誌26854・3・24、51頁。
  9. ^ 『江川になれなかった男たち』p.116-117
  10. ^ No.19 首脳陣に反発 選手が団結”. 野球人 東尾修のスポニチ連載コラム 我が道. RS INTERNATIONAL. 2013年6月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年10月20日閲覧。
  11. ^ No.20 今でも許せない八百長よばわり”. 野球人 東尾修のスポニチ連載コラム 我が道. RS INTERNATIONAL. 2013年6月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年10月20日閲覧。
  12. ^ デービス激怒!死球受け東尾に右ストレート 与死球王は意地の完投勝利”. デイリースポーツ online (2017年6月20日). 2022年10月16日閲覧。
  13. ^ “【6月13日】1986年(昭61) 気短デービス 東尾修の死球に激高!「狙って当てた!」”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2012年6月13日). オリジナルの2013年6月9日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130609090241/http://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/pro_calendar/1206/kiji/K20120613003458010.html 
  14. ^ No.23 デービス事件~死球が多い理由”. 野球人 東尾修のスポニチ連載コラム 我が道. RS INTERNATIONAL. 2013年6月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年10月20日閲覧。
  15. ^ 読売新聞1986年12月30日16面「東尾"1億"の春」読売新聞縮刷版1986年12月p1135
  16. ^ 読売新聞1987年12月13日17面「東尾、1億1000万保留 『球界のため妥当な金額を』」読売新聞縮刷版1988年12月p579
  17. ^ 読売新聞1987年12月14日夕刊15面「東尾投手がとばく 書類送検」読売新聞縮刷版1988年12月p647
  18. ^ 読売新聞1987年12月15日17面「東尾、処分待ち謹慎 西武『事実関係確認して』」読売新聞縮刷版1987年12月p665
  19. ^ 読売新聞1987年12月15日27面「通ったのは22回 とばくの東尾投手」読売新聞縮刷版1987年12月p675
  20. ^ 読売新聞1987年12月15日17面「『どんな処分も受ける』東尾会見」読売新聞縮刷版1987年12月p665
  21. ^ 読売新聞1987年12月16日17面「『暴力団と接触なし』東尾 西武、調査の末"判断"」読売新聞縮刷版1987年12月p713
  22. ^ 読売新聞1987年12月22日17面「東尾"セーフ!"キャンプ・自主トレOK 西武『マージャンとばく』温情処分 年明けにも山ごもりへ」読売新聞縮刷版1987年12月p957
  23. ^ a b プロ野球最期の言葉、村瀬秀信著、イースト・プレス、2010年、P233
  24. ^ a b c d e f g 日ハム稲葉引退 東尾修「優勝争いの裏で戦力外選手の見極めを行っている」ときどきビーンボール - 週刊朝日
  25. ^ 「わかっていたのに」投げた変化球 高卒1年目で流した涙…35年後も悔やむ痛恨被弾”. Full-Count (2023年9月14日). 2023年10月7日閲覧。
  26. ^ スポーツニッポン 1988年11月1日 1面
  27. ^ スポーツニッポン 1988年11月3日 1面
  28. ^ スポーツニッポン 1988年11月7日 1面
  29. ^ a b スポーツニッポン 1988年11月4日 18面
  30. ^ スポーツニッポン 1988年11月5日 1面
  31. ^ スポーツニッポン 1988年11月17日 1面
  32. ^ スポーツニッポン 1988年11月23日 1~3面
  33. ^ スポーツニッポン2018年4月21日伊東勤の我が道、11版
  34. ^ 東尾氏 盟友・加藤初氏を悼む…忘れられない「鉄仮面」雄姿・スポーツニッポン
  35. ^ 中日を「離れたくない」 予感通りに“恩人”から直電…勃発した西武との争奪戦
  36. ^ No.26 監督就任でV2、そして松坂の育成”. 野球人 東尾修のスポニチ連載コラム 我が道. RS INTERNATIONAL. 2020年2月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月20日閲覧。
  37. ^ スポーツニッポン2018年4月20日伊東勤の我が道、11版
  38. ^ a b c d e 日本プロ野球事件史―1934-2013、ベースボール・マガジン社、2013年、P100
  39. ^ スポーツニッポン2020年2月20日森繁和の我が道⑱、11版
  40. ^ ベースボールマガジン2009年3月号、91頁
  41. ^ 侍ジャパン 監督、コーチ NPB公式サイト (2012年10月10日) 2015年4月15日閲覧
  42. ^ 侍ジャパン 監督、コーチ背番号決定のお知らせ NPB公式サイト (2012年11月13日) 2015年4月15日閲覧
  43. ^ 東尾修さん、女子野球クラブチーム名誉顧問に 和歌山 産経新聞 (2019年2月17日) 2019年2月17日閲覧
  44. ^ 東尾修がインハイへの投球を語る インハイレジェンド
  45. ^ 「ケンカ投法」p.27 - 29
  46. ^ 【近鉄黄金伝説】第三弾 Part3 栗橋茂×佐野慈紀 頭部死球5回!? 栗橋茂伝説続編!
  47. ^ 私の真実―わが悔いなき野球人生「初先発にたどりつくまでの日々」の章(p.44 -47)、「ケンカ投法」p.15 - 18
  48. ^ 東尾氏と「デッドボール対談」の清原氏 一番痛かった死球は「ダルビッシュ」
  49. ^ 週刊現代 2015年6月27日号「週現熱討スタジアム 第156回 東尾修の「ケンカ投法」を語ろう」(p.150 - 153)
  50. ^ 朝日新聞1995年5月26日25面
  51. ^ 私の真実―わが悔いなき野球人生「天才・福本豊との“数ミリの勝負”」の章
  52. ^ 【一番近くで見た 西武ライオンズ40年】鋼の精神力!東尾修、若手に慕われた「男っぷり」と「飲みっぷり」
  53. ^ 東尾修伝説を中尾ミエが暴露 銀座でハシゴ酒「何軒回ったか」から六本木…翌日登板
  54. ^ “東尾修【前編】栄光にあっても波風が立ち続ける右腕の宿命/プロ野球1980年代の名選手”. 週刊ベースボールONLINE (ベースボール・マガジン社). (2018年8月30日). https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180830-11 2021年11月18日閲覧。 
  55. ^ 東尾修『ケンカ投法』ベースボール・マガジン社、2010年。
  56. ^ 清原和博著、告白、文藝春秋、2018年、96頁、
  57. ^ 長谷川晶一 プロ野球にまつわる言葉をイラストと豆知識でズバァ━━ンと読み解く プロ野球語辞典 令和の怪物現る!編 株式会社誠文堂新光社.2020年.P78
  58. ^ No.18 落球から始まった危険な関係”. 野球人 東尾修のスポニチ連載コラム 我が道. RS INTERNATIONAL. 2013年6月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年10月20日閲覧。
  59. ^ No.22 監督不在で真っ先に胴上げ”. 野球人 東尾修のスポニチ連載コラム 我が道. RS INTERNATIONAL. 2013年6月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年10月20日閲覧。
  60. ^ 森繁和『参謀―落合監督を支えた右腕の「見守る力」』講談社、2012年、p207。
  61. ^ 週刊ベースボール2020年3月2日号、特集:追悼・野村克也 ―みんなノムさんが好きだった―、25頁
  62. ^ イクメン オブ ザイヤー 2014”. フロンティアインターナショナル. 2017年9月6日閲覧。



東尾修

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ササキ様に願いを」の記事における「東尾修」の解説

西武の元監督背番号78。(→現:文化放送福岡放送野球解説者

※この「東尾修」の解説は、「ササキ様に願いを」の解説の一部です。
「東尾修」を含む「ササキ様に願いを」の記事については、「ササキ様に願いを」の概要を参照ください。

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