東富士欽壹
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東富士 欽壹(あずまふじ きんいち、1921年10月28日 - 1973年7月31日)は、東京市下谷区(現・東京都台東区)出身で高砂部屋(入門時は富士ヶ根部屋)に所属した大相撲力士・第40代横綱・元プロレスラー・実業家。本名は井上 謹一(いのうえ きんいち)[1]。
注釈
- ^ 当時は東西制で、15日制なら平幕10枚目前後までが横綱との対戦圏内だった。
- ^ 同場所の番付では西方に大関不在(照國が横綱大関だった)。
- ^ 羽黒山の他新入幕の千代ノ山が10戦全勝の優勝同点(優勝決定戦制度なし)で、東富士は照國と並んで3位の成績。
- ^ この前場所で栃錦は優勝したが、場所後の横綱審議委員会では「番付上の理由」で栃錦の横綱昇進を否決していた。
- ^ 例として富士錦猛光、富士櫻栄守がいる。なお、両者は富士山がある山梨県出身である。
- ^ 腰痛により11日目から途中休場
- ^ 優勝同点
- ^ 羽黒山、前田山、力道山と優勝決定戦
- ^ 増位山と優勝決定戦
- ^ 左足首関節挫傷により3日目から途中休場、7日目から再出場
- ^ 急性肺臓炎・扁桃腺周囲炎により8日目から途中休場、13日目から再出場
- ^ 左足首関節捻挫により9日目から途中休場、11日目から再出場
- ^ 左手中指薬指関節脱臼により7日目から途中休場
- ^ 右股関節捻挫により5日目から途中休場、11日目から再出場
- ^ 右肩関節打撲傷・腰椎捻挫・左第二肋骨軟骨亀裂骨折により8日目から途中休場
- ^ 左肘関節捻挫・右腰部神経挫傷により8日目から途中休場
出典
- 1 東富士欽壹とは
- 2 東富士欽壹の概要
- 3 エピソード
- 4 主な成績
- 5 脚注
- 東富士謹一のページへのリンク