東伏見宮とは? わかりやすく解説

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ひがしふしみ‐の‐みや【東伏見宮】

読み方:ひがしふしみのみや

旧宮家の一。明治3年1870伏見宮邦家親王第八王子彰仁親王創立小松宮改称後明治36年(1903)その弟依仁親王復興大正11年(1922)親王死去し廃絶


東伏見宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/07 06:31 UTC 版)

東伏見宮(ひがしふしみのみや)は、明治時代、小松宮彰仁親王(旧・仁和寺宮嘉彰親王)が一時、称していた宮号。 東伏見宮家は、小松宮の養子・世嗣となっていた依仁(よりひと)親王伏見宮邦家親王の第17王子で小松宮の弟)が新たに創立した宮家の名であり、伏見宮家の分家。依仁親王には継嗣が無く宮家としては一代で断絶したが、久邇宮邦彦王第3王子で臣籍降下して華族となった東伏見邦英伯爵により同宮家の祭祀が継承された(東伏見家 (伯爵家)参照)。ただし、それとは別に東伏見宮家自体は依仁親王妃周子1947年昭和22年)GHQの指令により10月14日皇籍離脱するまで存続している。




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東伏見宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 15:44 UTC 版)

臣籍降下」の記事における「東伏見宮」の解説

東伏見宮(ひがしふしみのみや)からは親王妃1名が皇籍離脱する。 依仁親王妃周子 東伏見周子 東伏見宮依仁親王妃。 昭和30年1955年)に逝去する。

※この「東伏見宮」の解説は、「臣籍降下」の解説の一部です。
「東伏見宮」を含む「臣籍降下」の記事については、「臣籍降下」の概要を参照ください。

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